有名作家「茅盾」の旧居(故居)

2013-08-21

茅盾の旧居は、1974年12月頃から1981年2月に亡くなるまでここに住んでいたという場所である。茅盾が生活していた居間や応接室は当時のままに残されており、日用品や文房具、衣類、書籍などが展示されている。陳列室には写真や書籍などが飾られ、茅盾の生涯を紹介している。北京の昔を今に伝える胡同の中にあり、建物も北京の伝統的な住宅である四合院建築になっている。入り口の管理人室では茅盾の書いた書籍も購入する事が出来る。

茅盾の旧居は故宮の東北、東城区交道口南大街後円恩寺胡同13号にある。前圓恩寺小学校裏門の真向かいにあたる。寛街の北,交道口南大街側に標識もある。現在の旧居は当時の生活空間がそのまま展示場となり、遺品や豊富な資料で茅盾の多彩な文学活動の足跡を紹介している。伝統的な北京の文人の暮らし向きを知るうえでも貴重なところだ。入口西側には「子夜書屋」とレンガ塀に書かれた書店があり、茅盾の生涯に執筆した多数の作品や記念品が販売されている。書斎や寝室、応接間などが生前のままに復元されており、彼の写真やその他の資料が展示されている。

説明:

茅盾(1986年7月4日 - 1981年3月27日)は、日本においては魯迅ほど有名ではないが、中国においては現代中国を代表するリアリズム作家として魯迅と並ぶ有名な作家である。1949年から65年まで中華人民共和国文化部部長を務めている。近代中国最大の共産作家と称されるほどで、中華人民共和国から高い評価を得ている。

茅盾も魯迅と同じく日本に縁があり、1928年7月に日本に渡っており、評論、エッセイや、長編小説「虹」などを執筆したりした。また、中国神話の研究「中国神話研究ABC」などをまとめた。後の1930年に上海に戻ってからは1931年に中国左翼作家連盟に参加して、行政書記の仕事に就くが数ヶ月後に病気を理由に辞職した。1932年には、世界大恐慌下の中国の民族資本家階級の没落を描いた長編「子夜」を執筆している。

茅盾は戦争に追われた事ともともと各地を見るのが好きであったという性格から各地を転々とする生活を過ごしていた。日本から帰国後にしばらく上海で活動していたが、1937年に日本軍が上海に入ってくると、武漢を経て香港に移り住んた。そこで、抗戦下の上海の事情を描いて人気となった新聞連載小説「君はどこへ行くか」を執筆している。1938年から1年間は、新疆省ウルムチの新疆学院に招聘されて教師を務めて、延安などに滞在しながら41年春に香港に戻る。1941年に日本軍が香港に入ると、1942年に夫人と3人の作家とともに桂林に脱出し、ここで多くの作品を書く事になる。日本軍が桂林に迫って来ると重慶に移り、短編数編や、最初の戯曲「清明前後」を書いた。

大戦終結後は上海に戻って活動した後に47年3月に香港に戻って「小説月刊」誌の編集をしながら、旅行記やエッセイを執筆する。1949年10月に中華人民共和国が成立した後は文化部長となった。1979年に全国文聯の名誉主席、中国作家協会主席に選ばれたが、1981年に北京で死去している。死後、故郷の桐郷烏鎮の旧居は全国重点文物保護財とされ、また1982年には茅盾文学賞が設立された。

住所:東城区交道口后圓恩寺13号

電話:010-64040520

入館料:5元

開放時間:10:00‐17:00

アクセス:バス104、107、108、113路交道口下車

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