マテオ・リッチと外国人宣教師墓地

2015-07-29

マテオ・リッチ(1552~1610年)はイタリア人で、中国名は利瑪竇。明代万暦10年(1582年)中国に宣教に訪れ、中国におけるイエズス会の指導者となった。1601年、北京入りして皇帝に機械仕掛けの時計を贈り、また「士大夫(知識階級や官職にある者)」と広く交流した。翻訳書に『幾何原本』などがあり、自然科学の知識を伝授し、中国と西洋の文化交流に尽力した。

マテオ・リッチと外国人宣教師の墓は、北京行政学院内にある。1979年の再建以来、多くの国内外から訪れた参拝者を迎え、中国と西洋の文化交流と関係分野の学術研究を推進している。

明・清時代の外国人宣教師は、中国で宣教すると同時に、西洋の現代科学技術を伝え、また世界に向けて中華文明を伝えた。中国皇帝により重用され、宮廷の要職を担った人も多く、イタリアの宣教師であるマテオ・リッチはその1人だ。1610年、マテオ・リッチは北京で病死し、明の万暦帝は、「滕公柵欄」を彼の墓地とし、翌年に葬った。清の初期、順治帝はドイツの宣教師であるアダム・シャール(中国名は湯若望)の墓地をマテオ・リッチの隣にした。以降、ベルギーの宣教師であるフェルディナント・フェルビースト(中国名は南懐仁)ほか中国内外の宣教師80人余りがこの地に葬られた。

■所在地西城区車公荘大街6号北京行政学院内(車公荘西駅C出口から東へ100㍍)

■チケット10元/1人

■開放時間8:30~17:00(参観は要事前予約、月曜~金曜法定休日除く)

■電話010-68007279010-68007011

「人民中国インターネット版」より

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