北京の物語 崇文門の由来

2015-11-12

古くからいる北京人は崇文門のことを「海岱門」、「哈徳門」、「哈大門」と呼ぶが、一般の人は普通に「崇文門」と呼んでいる。

なぜ「崇文門」にははこのような多くの名前があるのか。これを理解するには崇文門と文明門の関係に遡のばなければならない。文明門は元代の真南門の一つで、1419年に南の城区が拡大された。その際三つの門は開かれ、名称も変わらなかった。1439年になって文明門の名将は崇文門に変えられた。しかし、すでに慣れた名称を変えるのはなかなかむずかしく、元代の旧称が代々伝えられてきた。

「析津志」によると、文明門は即ち哈達門のことで、哈達大王府がこの門にあったことから名付けられた。海岱、哈徳、哈大は哈達の音から転化されたものだ。また海岱は中国五大の山の一つである泰山と関係があると信じる人も多くいる。

崇文門の意味は「文教宜尊」の意味で、当時その近くに先聖廟と衡文院があったため。

北京旅游网

モデルコース
人気おすすめ