鑑真和上の坐像、揚州から日本へ出発

2016-05-13

古くは唐の時代、中国の鑑真和上は日本に仏教を広めるため6度にわたる渡海を経て日本に渡り、日本における律宗の開祖となった。5月11日、揚州の文峰寺では鑑真和上をかたどった1体の乾漆像が揚州運河の渡し場から当時のルートをたどり日本へと出発しようとしていた。今回の渡海は揚州の文峰寺と京都市の壬生寺が共同で提案し、中日両国の仏教文化交流を促進することを目的としている。現代快報が伝えた。

揚州の文峰寺スタッフによれば、文峰寺の友好寺院である京都市の壬生寺が出資し、2体の鑑真和上坐像を作り、そのうち1体が文峰寺に寄贈された。もう1体は壬生寺に運ばれ奉納されることになっており、鑑真和上を記念し、今回の渡海は文峰寺近くの運河の渡し場から出発し、当時のルートをたどって日本を目指すという。

このイベントで日本側は特別に当時鑑真和上が渡海した際の遣唐使船に似せた船「大唐壱号」を張家港に停泊させている。5月12日、鑑真坐像はまず「大唐壱号」の船上で出発イベントを行った後、張家港へ向かい、「遣唐使船」の船上で海に入る儀式を執り行う。その後さらに上海港に向かい、上海と大阪を結ぶフェリー「新鑑真号」で14日午前に上海から出発し、15日午前には奈良に到着する予定だ。

この2体の鑑真和上像はいずれも奈良市・唐招提寺の御影堂に奉納されている乾漆鑑真和上坐像を元に旧来の製法を用いて作られた。

鑑真和上は揚州の大雲寺で出家したのち、大明寺で住職を務めた。6度にわたり日本への渡海を試み、うち4回は文峰寺の港から出発している。鑑真和上の渡海は日本の仏教学、医学、建築及び彫刻のレベル向上を促進したばかりでなく、日本の宗教と文化事業の発展に積極的かつ深い影響を与え、中日文化交流の促進と発展を促した。

5月11日、日本へ渡海予定の新しい鑑真和上像は献花と献茶の儀式を終えると、大明寺の鑑真記念堂に移され、記念堂の鑑真像との対面を果たした。鑑真和上を記念するため、新しい鑑真和上像は日本に到着したのち、奈良市の唐招提寺で日本の国宝・唐招提寺の鑑真和上像との対面の儀式が行われる予定だ。(編集TG)

「人民網日本語版」

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