中国人留学生帰国ブームの背後にある「中国の魅力」

2017-02-26

サンフランシスコのベイエリアに位置するフォースターシティで2月3日、丁険峰さんを取材した。シリコンバレーを離れ、ファーウェイに加わったことについて丁さんは気さくに語った。もしインテルのセンサーシステムのアーキテクチャ設計の仕事を辞めず、ファーウェイのセンサー研究所の主任サイエンティストに就任しなければ、世界のセンサー業界でトップになれないと思ったからだと語る。中国が強大になる流れに沿った、21世紀になって最大の「海亀」(海外留学生の中国回帰)ブーム。自らの故国が成長するさまは彼らにとって、まるで夢の舞台が無限に広がり、経済社会が発展する中国が世界をリードしているように感じるようだ。多くの人が「移動」という言葉を使って近年ますます深まる「海亀」ブームを形容する。

「よし、中国に戻ろう」という声が高まっているのだ。10年前の中国は、3人が留学すると1人が戻った。現在は8割の人が帰国を選択する。調査によると、帰国した留学生の81%が「中国は起業のチャンスが海外よりある」あるいは「ずっとある」と考えている。そして中国に戻ったことで「以前はできないと思っていたことができた」と考えている。

30年前、1950年生まれの渠志灿さんは苦学してアメリカに留学し、事業を成功させ、安定した生活を送っている。現在、彼女は安定した国外生活を捨て、中国に戻って起業にまい進している。故国の経済発展に貢献する道を選んだのだ。

20年前、1970年生まれの申華章さんは海を渡って人生の新天地を開拓しようとした。紆余曲折の後、帰国して科学技術に基づく教育の道を選んだ。「中国に根付いた世界的視野」を標榜する個性化教育の学校を創設したのだ。

10年前、1980年生まれの尹華傑さんは両親の反対を押し切ってドイツ行きの飛行機に乗った。当時、国に奉仕できる人間になるまで国には戻らないと決めた。現在、志を果たして国へ戻ろうとしている。

故国への凱旋エピソードは夢にあふれている。

中国が強大になる歴史的必然の流れに乗った、21世紀以降で最大の「海亀」(海外留学生の中国回帰)ブーム。自らの故国が成長するさまは、彼らにとってはまるで夢の舞台が無限に広がり、中国の経済と社会の発展が世界をリードしているように感じるものだ。

チャンスを掴む――よし、中国へ戻ろう!

「帰国して起業する」という人生の大きな選択をしようとしている、カナダの「海亀」の張極さんは取材に対し、「3分で帰国を決めたよ」と話す。

2009年、張極さんは世界最先端技術である「活動定位装置を持った心臓弁膜移植システム」を携え帰国し、30分のプレゼンを行った。3時間後、中国国内企業家が1000万の投資を決めた。現地政府が強く支持し、関連部門の全面的なバックアップを得た。彼にとって最も効率的な3分間だった。

もちろん、帰国は決して平坦な道ではない。チャンスとリスクはコインの裏表だ。中国構内の医療器械の産学研究に実を投じた張極さんは、海外の医師ライセンスを得るのが難しくなった。これは安定した収入の道を捨てたということを意味する。

中国での張極さんの月給は、海外で医師をして得られる5日分の報酬でしかない。彼の友人は「バカだな」、「意味が分からない」と言う。しかし張さんはそう思っていない。「私は安定した収入を捨てた。しかし帰国して起業することで、理想を実現するための大チャンスを得たと考えている」。自分の新技術が臨床市場に投入された際の市場価値を高く見積もる張極さんは、「今後の収益は計り知れないものになる」と考えている。

2年前、呉桂徳さんはベルリンのフンボルト大学で法学の修士課程を学んだ。修了後は引き続き同校の博士課程に進学した。「知的所有権保護」が専門である。博士課程修了後は帰国する予定だ。それは早くから決めていたことだ。なぜならそれが大勢の流れだからだ。

「グローバル化の深化、そして中国企業の海外進出の加速。特に最近は、多くのドイツ企業を買収している。これらは必ず知的所有権の問題が生じるだろう。また、国内製造業がレベルアップを続けているため、中国は健全な知的所有権制度を構築する必要がある。中国ブランドを保護するためだ」。

張極さんと呉桂徳さんの自信満々の態度と対照的に、李沛祥さんの帰国には迷いがあった。20年以上の努力を通じ、彼はカナダの生物材料研究開発分野で地位を得ていた。彼の会社であるABMは、カナダ外務省が推薦するバンクーバーで最もポテンシャルのある5企業の1つに選ばれた。

2012年末、チャレンジ精神から李沛祥さんは、南京の「321」人材計画の募集に応募し、選出された。当地政府から補助金が振り込まれた。当地の資金集め担当や投資家が専門的な知識を持っていたことに、彼は深く感動した。

最初の第一歩を踏み出すと、彼はさらに前進した。南京に続き、鎮江でも新会社を設立したのだ。「5年以内に売上を1億にして上場する」と、大きな野心を抱く。

母国への思い――「人間は感謝の心が大事」

「来月には国へ帰れる」。ドイツのエバーハルト・カール大学テュービンゲン修士課程で生態学を学ぶ曹左男さんは、指導教授の研究室を満面の笑みで退出した。修士論文のテーマ「中国チベット高原の土壌養分の実験方法に関する研究」が指導教授に認められると、さっそく帰国してフィールドワークの地で土壌サンプルの収集を行った。

この1990年代生まれの若者は、普通のインテリ家庭に生まれた。青海省の西寧生まれの一人っ子で、成人までの18年をこの地で過ごした。ドイツ留学の間、故郷の雄大で美しい高原が頭から離れなかった。

曹左男さんが学ぶ生態学は、ドイツの科学者、エルンスト・ヘッケルが19世紀に提出した概念である。中国農業大学で学んでいた曹さんは、本場のドイツで学ぶことを決心した。学業を修めて国に戻ることは当然のことだと彼は思っている。

「人は感謝の心を持つべきだ。大学に入ったばかりの頃、将来何になろうかと考えた。そのとき両親や祖父、私の故郷の大地に恩返しがしたいと思った」。

1980年代生まれの張偉さんが帰国しようと考えたのは、「海亀」の先輩の影響があったからだ。中国で博士課程を学んでいたとき、指導教授は「海亀」だった。教授の薫陶と激励があったため、海外留学の前から海外で何をすべきか、帰国後はどうキャリアを積むべきかについて、明確な指針があった。

「幼いころから中国国内の文化環境で育ってきた。アメリカの生活は安定しているが、やはり油条や豆乳の味など中国の生活が恋しい。祖国に戻ってこそ、本当の帰属感がある」。

シリコンバレーを離れ、ファーウェイに加わったことについて丁険峰さんは気さくに語った。もしインテルのセンサーシステムのアーキテクチャ設計の仕事を辞めず、ファーウェイのセンサー研究所の主任サイエンティストに就任しなければ、世界のセンサー業界でトップになれないと思ったのだと語る。

英誌『エコノミスト』は、想像力にあふれた中国では、世界的な企業が続々と生まれていると驚く。ファーウェイは、世界三大携帯応用センサーの研究開発企業の1つであり、しかもその中でトップクラスであり、大きな影響力を持つ。「今の私は、アメリカで仕事しているよりセンサー業界での影響力が百倍も増えている。私は20億ドルの購買権利を持っている」。

国外では職位に「天井」あることが多い。「海亀」が帰国を選んだ理由だ。帰国について、多くの留学生と話をするとき、丁険峰さんは「中国に戻る選択以外、重要なものはない」と答えてきた。

1960年代生まれの黄暁波さんは日本に留学したことがある。「当時、クラスの大半の人が海外留学した。しかし多くが海外で埋もれた」。黄さんは努力を続けた結果、北京大学の応用砕石技術研究所の所長になり、北京大学人民委員泌尿外科学科の創設者となった。

黄暁波さんは帰国を選んだことを幸運に思っている。「泌尿外科はアメリカの医学分野で最も人気のある専門の1つだ。中国人がアメリカの主流大病院の泌尿器科の責任者になるのは、天に上るより難しい」。

「より高いレベル、より高い舞台で大きなことを成し遂げる」。李一諾さんが2回目に帰国した際の目標だ。2008年、清華大学卒の才女は、アメリカの有名なコンサルティング会社であるマッケンジーのプロジェクトマネジャーとして帰国した。中国市場を理解し、中国国内業務を経験したいと願った。

2016年、彼女は再び北京に戻った。ビル&メリンダ・ゲイツ財団の北京代表所の首席代表となった。収入は以前より少ないし、仕事量は多くなった。しかし価値ある仕事だと考えている。なぜなら一回り小さな視点から広い世界が見られるからだ。

北京に戻った彼女が成し遂げた「大きなこと」は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団と清華大学、北京政府による、世界健康薬物研究開発センターの設立だ。中国の技術資源を利用した世界の公共衛生医療の革新組織である。これを通じ、中国ないしは全世界の貧困層に医薬サービスを提供する。

「昨年の広州サミットでは世界の健康問題が議題にのぼった」。責任ある大国である中国は、国際責任を果たしたいと考えている。そんな現在、より広い舞台で中国のため、世界のために仕事をすることは、人生においてかけがえのないことだと彼女は考えている。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2017年2月25日

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