北京で暮らすバレエ講師・竹田舞子「バレエの喜びを子供たちに」

2017-05-31

竹田さんは1992年に日本で生まれ、父親の仕事の関係で5歳の時に北京を訪れ、中国人の友達とその年から一緒に北京でバレエを習い始めるようになった。後に彼女は努力を重ね、小学校卒業後はバレエの専門学校に進学、大学は中国の舞踏界では有名な北京舞踏学院に進学した。大学卒業後1年間の英国留学を経験し、現在は同じくバレエ経験の豊富な母親が主催するバレエ教室「J-Ballet Studio」で、講師として中国の子供たちをはじめ各国駐在員家庭の子供たちを対象にバレエの指導に当たる日々を送っている。

この教室では、下は5歳、上は60代までと幅広い年齢層の人がバレエを習っており、興味さえあれば国籍不問で受け入れ、毎日休むことなくレッスンを行っている。講師は竹田さんや彼女の母親を含め数人おり、竹田さんはトウシューズクラスを担当している。「バレエはふわふわと踊っているように見えて、実はすごく体力を使うし、力を使わないと綺麗に見えない芸術。ストレッチの痛みもあれば、高い集中力も必要で、精神的、体力的に我慢が足りない子は辞めてしまうが、多くの子供たちが昇級の喜びで辛さを乗り越え、発表会という目標に向かって楽しみながらレッスンに励んでいる」と言う。反抗期に入る子供もおり、バレエを上達させる上での細かい要求を分かりやすく伝えられるよう子供たちとの接し方にも工夫を凝らす。

5歳から19年北京で暮らす竹田さんにとって、中国語での交流はまったく苦にならない。「日本でバレエを経験したことがないので、指導する立場になってもむしろ中国語の方が自然に出てくる」ほどで、英国留学もあって英語圏の子供たちに指導することもでき、教室内に日中英3カ国の言語が飛び交う日もある。

竹田さんにとって一番嬉しい瞬間は、注意した点をレッスン中に子供たちが意識していることに気付いた瞬間だ。中国の子供以外は、親が駐在員で折角成長しても数年経てば帰国や他国へ行ってしまうケースも多いが、後日「新しいバレエ教室の先生から舞子先生に直してもらった箇所が褒められたよ」と連絡が来ることがあり、この教室をバレエ上達の一つの通過点として役立ててくれているという嬉しさや教師としての喜びが湧き上がる瞬間だ。

バレエ歴4年という高子那(ガオ・ズーナー)ちゃんは、「舞子先生は面白くて優しい。教え方が上手でレッスンはとても楽しい」と話す。同じくバレエ歴4年の福原ガブリエル美智子ちゃんは、「何を聞いても、分からないことがあったらすぐに調べて教えてくれる。とてもいい先生だと思う」と語る。レッスン風景や子供たちの言葉からも竹田さんが慕われていることが十分に伝わって来る。

パ・ドゥ・ブレ、アダージオ、ピルエット、ロン・ドゥ・ジャンブ…。バレエには様々な動作があるが、バレエを学ぶ上で、実は一番難しいのが「まっすぐ立つこと」ではないかと竹田さんは考える。「人それぞれ体型も癖も違う。どうお腹を平らにして、どう背筋を伸ばして、どうそれをキープするのか。一見簡単そうな動作でも、美しい姿勢を維持するのは実はとても難しい」と語る。

そんな難しいバレエの技を身につけるべく、多くの子供たちが目標の一つに掲げているのが、2年に一度北京市内の劇場で行われる発表会だ。竹田さんが学生時代ステージに立っていた頃と同じように、小さな子供たちにとってはワクワクドキドキの「お楽しみ行事」かもしれないが、今では指導する側となった竹田さんにとっては息つく間もない多忙な一日。朝9時前には劇場に到着し、メイクルームをクラス毎に分けて張り紙をし、衣装や道具を搬入、その後お昼にかけて止めどなく120人超の可愛いバレリーナたちが年齢の大きい子から順に舞台裏に流れ込み、保護者ボランティアの協力を得ながら着替えやメイクを進めていく。この間メイクの仕方や髪飾りのつけ方など竹田さんとの様々な確認のやり取りが途絶えることはない。舞台経験のない子供がほとんどのため、竹田さんは昼食を摂る間もなく午後のリハーサル指導へと移り、十数クラスを次々と捌く。5月22日に行われた発表会当日は、15時の開演ギリギリまでリハーサルが行われ、本番が始まると「いつも必ず起きる」というハプニングに対処しながら、2時間がバタバタと瞬く間に過ぎていく。発表会が終わると喜びも束の間、120人のバレリーナの安全な退場に気を配り、子供たちが帰った後も劇場の撤収作業に追われる。

教室の清掃といった日常の雑務に加え、子供の体型が一人一人違うため、発表会前にはレッスン後から深夜にかけて連日衣装直しも親子二人で行っている。髪飾りや手に持つ花輪といった小道具も、相応しいものが売っていないことが多く、ほとんど母親が手作りで製作している。ゴールなきマラソンレースのようにひたすら走り続ける二人だが、竹田さんの母親は「風邪を引いている暇もない。お陰で身体が丈夫になった」と笑って苦労を吹き飛ばす。

ここまで苦労してでもバレエ講師を続けられる原動力とは何なのか。この問いに対し竹田さんは、「まだ幼稚園に通うヨチヨチ歩きのバレエから始め、他にもバレエ教室が増えていく中、辞めずに通い続けて少しずつ成長し、トウシューズを履いて踊れるようになって巣立っていく子がたくさんいる。子供たちのそうした成長の姿が、私たちの続けようという励みになっている」と語る。

実は竹田さんが子供たちへのバレエの指導に熱心な理由がもう一つある。英国留学中、足の小指の骨を折り、自身はもうトウシューズを履けなくなってしまい、その時から講師としてバレエの魅力を伝え続けていこうと決心していた。「舞台に立つ夢はもう諦めたが、自分が習ってきたバレエの知識や経験を、今度は講師として一人でも多くの子供たちの教育に役立てていきたい。この教室は続けられる限り開き続け、バレエを広く知ってもらえるよう頑張りたい」と笑顔で意気込みを語った。(文:岩崎元地)

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