
中国の有名なお茶どころといえば、雲南省や福建省など南に集中している。至る所に茶館があり、日頃からお茶を飲み慣れ、知識もある南方人に比べると、北京の茶文化は大衆にまで広く浸透しているとは言えない。北京のローカルレストランでもサービスで提供されるのはお茶ではなく、白湯だ。それが、2000年の中ごろから始まった中国茶投機ブームや健康ブームにともない、中国は全国的なお茶ブームに沸き立ち、北京でも一気に茶館や茶葉店が増えていった。近年北京では、特に政治やビジネスシーンで茶館が頻繁に利用されている。
それに伴い、茶葉の価格の高騰化も進んだ。かつてプーアール茶は、安くて身体にいいことから香港や広州を中心に日常茶として人気があったが、2006年頃から始まった投機ブームで一気に値が高騰し、今では高級茶葉としてもてはやされている。また、2008年以降からは福建省の武夷山で生産される中国紅茶「正山小種」や、その中の最高級品種「金俊眉」、烏龍茶の代表的なお茶である武夷岩茶の「大紅袍」などが次々と流行。現在は、肌や身体にいいとされる白茶が注目されるなど、富裕層の拡大により、お茶にかけるお金や労力も増し、人々はより珍しいお茶や、より健康・美容にいいお茶を求め駆け回っている。
このような中、北京で、適正価格で美味しいお茶を購入しようとすると、頭を悩ますことになる。北京の西側の郊外に北方最大と言われる有名な茶葉の問屋街「馬連道」があるが、ここに集まる店は1500軒以上と言われ、どこに入ればいいのか一見さんには皆目見当がつかない。しかも、有名な市場であればあるほど、交渉が大変でめんどくさい。また、東側の住民にとっては少し辺鄙な場所で行きにくいというのもある。

一方、東側には、地下鉄八通線の管庄に「東郊市場」という卸市場があり、その中に茶城もあったのだが、昨年取り壊しとなり、中の店はさまざまな場所へと移っていった。その中の一部の店が地下鉄2号線、四恵東駅から徒歩15分ほどの「通恵湖畔」という新しい商業地区の四恵大廈に移ったことで、約20店舗程の小規模な「四恵茶城」が形成された。
この知る人ぞ知る「四恵茶城」を<北京のお気に入り>として推薦してくれたのは、日本茶・中国茶のインストラクター、気功師の宮崎姿菜子(37)さんだ。
ーーもともとは私も西側のお茶市場、馬連道に茶器を購入しに通っていたのですが、2008年北京五輪の際に、ごちゃごちゃしていた馬連道が立派なストリートになったことで、小さな問屋が全部吸収され、ひいきにしていたお店が全部変わってしまったんです。新しいお店と一から信頼関係を築くのは時間や労力もかかる上、家から遠いこともあって、その後は、比較的近い東郊市場の茶城に通い出しました。
その茶城を回る中で、知り合ったのが「子午塘茶社」の店主、馮霞さんです。お茶をする人というのはその所作に人格が滲み出てくるものです。馮さんはお茶の話をする時やお茶を入れるしぐさにお茶に対する真摯な気持ちが現れていました。商売というよりも、純粋にいいお茶で心を静めるために店をやっているという感じを受けました。そこが気に入って、年に数回ぐらい店を訪ねて、業界の動向や流行している茶葉など、様々な情報を交換しています。あと、のどが渇いたときにもお茶を飲みにきたりしていますね。
この四恵市場は、昨年取り壊しになった東郊市場の茶城よりも、規模こそ小さいですが、建物も新しく、それぞれの店もきれいに内装されているので、日本人には訪れやすい茶城だと思います。開業して一年余りなので、人もまだそこまで多くなく、落ち着いて買い物ができるところもお勧めですね。
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現在、日本茶・中国茶のインストラクター、気功師、ビジネスコーディネーターなど多方面で活躍する宮崎さんが北京に初めて訪れたのはまだ高校2年生の17歳のときだった。
ーー中国に初めて来たきっかけは、母親による強制です。(笑)
もともと、中学の頃から英語が好きで、その頃は、アメリカ留学を目指して勉強していました。ただ、気功師の母親に治療院に連れて行かれて、朝から晩まで治療を勉強したり、特に高校の頃ぐらいから、母親から中国という単語や、将来気功師に、というような言葉がよく投げかけられていました。そんな中、私自身は英語やアメリカに興味が向かっていくのですが、おそらく母親はそれを阻止しようとしていたんでしょうね。
初めて中国に訪れた気功研修も、母親が勝手に申し込んでいて、もうチケットを買ったから行こうよと強制的に中国に連れて行かれました。正直、中国には、テレビで見るイメージそのままの、暗くて、怖い、閉鎖的なイメージを持っていたので、もう嫌で嫌でたまりませんでした。
しかし、宮崎さんは、無理やり連れていかれた中国の訪問先で、意外な光景を目にすることになる。
ーー初めて行った中国は、観光目的ではなく、気功研修だったので、訪問先は地下鉄1号線の西の最終駅「苹果園」で降りて、さらに北に上ったところにある軍の施設の中の気功治療院みたいなところでした。当時は外国人が泊まれる施設が限られていたので、軍の施設から程近い「香山飯店」に泊まって、送迎バスで治療院に通いました。なので、初めて会った中国人も軍隊の人たちでした。医師免許を持っている人、医師免許はないが、気功師として働いている人。さまざまな人がいましたが、すごく興味を引かれたのは、皆非常に若かったことです。
日本で気功師をしている人は年配の方が多かったので、中国に来て、そこで働いている多くの人が10代だったことに本当に驚きました。さらに、自分と同い年の人が気功をしている姿や、その人たちの礼儀正しさを見て、カルチャーショックを受けました。
たとえば、ちょっとしたことなんですけど、年配の方が歩いているときに、手を引いてあげたり、階段を上り降りするときに、すぐに寄って行って助けてあげたりとか、ごく自然に人を手助けする姿が見られ、自分と同じ年齢なのに、なぜそこまで気がついて、人に優しくできるのだろうかと、びっくりして。もちろん医療に携わっているからというのもありますが、普段でも、食事をしているときでも、常に周りの人を気遣い、世話をしている様子に心を打たれました。
初めて会ったのに、一日で家族みたいになって。中国人がよく言う「同じ釜の飯を食べると、一日にして家族になる」というのをまさにこの時、じかに体験しました。1週間滞在したのですが、本当に離れたくないと思えるほど強い絆が生まれました。
この中国訪問をきっかけにして、宮崎さんの人生の目標は、180度大きく変わることになった。
ーー日本で普通に暮らしていた感覚からいくと、トイレや環境などすべてが驚くことばかりでしたが、中でも一番大きなショックだったのは、自分の甘さを実感したことでした。中国の若い人たちを見て、自分の恵まれた環境に感謝する、というよりも、自分は今のままでは駄目だという気持ちが強くなって、何もない世界で、自分1人でどこまでやれるのだろうか?、という疑問が生まれました。
滞在中は通訳さんに大変お世話になったのですが、この方は大学を卒業したばかりで、一度も日本に留学に行ったことがないのに、非常に美しい日本語を話されました。田舎の農村出身で、何も頼るべきものがない中で、自分の力でがんばってきたんだろうというのを垣間見て、目に見えるものより、内側を磨かないと駄目なんだという気持ちが一層強くなりました。
それまでは、どちからというと、もっと高く、もっと多く、最先端であるアメリカで多くのものを教えてもらうことを目指して、アメリカに憧れていましたが、帰国後はそれが一気に色あせ、今までの価値観が崩れ落ちた気がしました。あるものを目で見て受動的に学ぶのではなく、ないものを見るために、自分をゼロから鍛えることが今必要なんだと、目標が180度変わってしまったんです。帰国して1週間後には、中国留学を決め、気功師になると決意をしました。そして、母親に中国留学を宣言しました。おそらく、母親もそれを聞いて、シメシメと思っていたことでしょう。(笑)
宮崎さんはその後北京で、気功師になるという思いをより一層強くする出来事を体験した。
ーー最初に中国に行ってから3か月後、2回目の気功研修のために中国に訪れました。実は、その前に靭帯を切る怪我をしてしまい、病院で手術をしました。病院からはリハビリが必要だと言われたのですが、どうしても中国に行きたかったので、ギプスを本来の半分の期間ではずして、中国に向かいました。
中国に行くと、まだ足が腫れていたのを見た中国の気功の先生が治療してくれました。先生は、足を見て、針とかも使わず、ツボをポンポンと軽く触れるだけだったのですが、翌日には腫れが全部ひいて、すごく楽になったんです。まるで奇跡が起こったような感じで、何が起こっているのか、訳がわかりませんでした。そのときに、気功の治療時間の短さと効果の速さに驚き、気功は医学なんだと、目に見えない現象にも理論があるんだということを体験しました。このとき、自分が気功の効果を身をもって体験したからこそ、その後の人生を中国に捧げることになったんだと思います。
最初は2年の計画で中国に留学したという宮崎さんだが、中国滞在暦は今年ですでに19年目を迎えた。
ーー当初は、語学の授業と気功の先生に師事するというので2年間を考えていました。本当は軍の施設の気功センターに住み込みを、と考えていたのですが、言葉のできない外国人には厳しいと言われ、2年間語学の勉強をしながら通いで学ぶという形を取りました。でも、語学の勉強を1年半ぐらいしたときに、大学の本科生の話が出たので、試しに受けてみたら受かり、自動的に2年が4年になりました。
そこから19年というのは、正直私自身もそうですが、親も計算してなかったと思います。父親も中国は環境が厳しいし、育ってきた環境もまるで違うし、いつかこんなところは嫌だといって戻ってくるだろうと安心していたようですが、後に計算が狂ったと言ってました。
こんなに長く中国に滞在することになった理由について宮崎さんは次のように語った。
ーー一言でいうと、学ぶべきことが多すぎるというか、次々と学びたいことが出てきたということですね。もちろん、これは結果的に見ての言葉なので、そのときそのときは、色々決断に迫られることもあったのですが。
中国に来て6年ぐらいの時、ちょうど大学を卒業したころ、23歳のときにひとつの決断を迫られました。北京には、社会人を体験した日本人の留学生も、駐在員の人もいる。いくら言葉がしゃべられるようになっても、経験がないと、負けてしまうなと思いました。そのときに、とりあえず目標を10年中国に滞在しようと決めたんです。滞在のための言い訳を探すのではなく、とにかく10年。何もなくても10年、ここで自分の強みを見つけて生きて行くと。
というのも、大学を卒業して、気功の実習にも通いましたが、まだ自分の中では圧倒的な自分の強みがなかったんです。このまま帰ると、自分に対して納得できないと思いました。やりきったという感覚がなく、当初頑張って生きていこうと思った熱意がまだ燃焼しつくされてなかったんですね。だから、大学などの守られた生活ではなくて、スタート時点に戻った気持ちで、新たに何かを探し、何も変わらなかったら、帰国してできることをしようと思いました。おそらくそれが2回目の節目だったと思います。
その後、気功を勉強する中で出会い、今や宮崎さんの生活に欠かすことのできない重要なものとなったのが、お茶だった。
ーーもともとお茶は好きで、日本にいるときから、コーヒーではなく、お茶党でした。でも、気功を勉強し、色々な本や専門書を読む中で、人として何が大切かと考えたときに、やはり食べ物、飲み物だということに行き着いたんです。特に、東洋人にとってはお茶が重要です。お茶は歴史的にも必ず登場するものですし、学問としても立派な分野だと思っています。
中国には按摩や針灸など色々な独自の治療法がありますが、その中で気功は自分が自分に対して行える唯一の治療法なんです。按摩や針灸は他力ですが、気功は、元々導引という言葉を使うように、道具も使わず、誰にも頼らず、自分の自然治癒力によって、自分で解決する治療です。
これは、自然界では動物たちが自然にやっていることなんです。身体が悪くなったら、薬草を食べて治すとか。だから、気功医学・医療は決して人を治してあげるというものではなく、身体の自然治癒力、免疫力を高めて、自分の身体を治すお手伝いをするものです。そのために、こういものを食べてくださいとか、飲んでくださいとかアドバイスをする。その飲食のアドバイスの中に、お茶も含まれます。
つまり気功の勉強とは、気功のことだけを勉強すればいいわけではなく、気が遠くなるような膨大な範囲に及んでいる。宮崎さんも後になってそれに気付いたという。
――気功は、中国伝統医学に基づいた学問を基本としています。中医学の基礎理論はもちろん、呼吸法、食事療法、運動なども含まれます。どういうふうに体を動かすかというのも全部含まれているので、気功を勉強しようとすると、栄養学から中医学、漢方の知識、ツボの位置から、色々なことを学ばないといけません。
具体的には、陰陽五行説、気血津液、臓象概説、経絡概念、四診、八綱弁証、推拿按摩、漢方、穴位などの施術法、自然療法、呼吸法、操体法、気功の功法、太極拳、丹田法、勁力の使い方など、数年そこらでマスターできるものではありません。
若いときは、結果しか見ていなかったので、気功を操って、人を治してあげればいいと漠然と思っていたのですが、後々蓋をあけてみれば、あれもこれも知識がないと治療はできないということに気付きました。おそらくこれが結果的に北京滞在19年になった実質的な理由でしょうね。
宮崎さんはこうして気功を中心にそこから派生した様々な分野を勉強していく。お茶や薬膳、中医学、栄養学、太極拳、古武術、ヨガなど。それらを学びつづけるストイックな姿は、どこか修行僧を彷彿させる。
ーー続けていくことに、何の意味があるのかというのは、やはり、その先に到達する時の感動っていうのを追い求めているんだろうなと思います。諦めなければ、結果は多少なりとも出ますから。競技というのは、短命ですよね。若さが命のところもあって、でも、本来はそういうものではないと思うんです。スポーツにしても、若い時に勢いがあるのは誰も知っている。でも、その後、自分の中でどんな風に変化していくのかを知ることが、自分自身一番楽しめるものではないでしょうか。続けてさえいれば、必ず発見がある。大きな目で見ると、老いの美学と共通していると思います。
北京での暮らしは、すでに日本で暮らした年月を越えている。宮崎さんに今後の展望について聞くと、次のように語った。
ーー今後のことは、自然に任せようと思っています。いずれは日本に帰って、気功治療院の後を継いでと漠然とは考えていますが。まだその時が来ていないというか。
武道に「守破離」という言葉があります。守破離とは、武道に入るとき、最初はルールを「守」って、稽古をしていきますが、あるとき、自分のレベルがそこを超えて、自分独自のものを作り出せる段階になると、初めてそれを「破」って、最終的に、自分の師の元を「離」れて自分の道を作る、という学びの一つの流れを表した言葉なんです。
私はまだまだ、その守の段階にあります。今あるものを学んで、自分の中に取り入れることは知っているのですが、まだ自分独自のものを作り出すまでには至っていない段階だと思うんです。例えば、最終的に独立するというのは、「離」の段階になったということですが、それは、今まで自分が学んできたものや積み上げてきたものをまとめて、自分の看板を掲げてやっていくということですよね。だったら、あと何年で独立できるのか?というのは正直、自分でもわからないのですが。
人の身体と誠実に向き合うというのは、ここまでのストイックさを求められるのかと圧倒されていると、宮崎さんはそれを見透かしたように、次のように語った。
ーー私なんて全然ストイックじゃないですよ。もっとストイックに生きている人は周囲にたくさんいます。ただ、母親を見ていると思いますが、普段人に尽くして生きている人間には、自分が充電する時間も必要です。何事もバランスが大事なので、贅沢していいときは、贅沢にすることも大切です。
「ケチは嫌だ。人に対する愛もケチケチしてはならない。愛を注ぐなら、存分に注ぐ。その代わり、自分の楽しむときも、自分が本当に楽しめるようにする」。
これは、母の言葉なのですが、私もそうあるべきだと思っています。人に親切にするなら、存分にすべきだと思います。これぐらいでいいかと出し渋ると、やっぱり後悔するのは自分であり、全てに対して中途半端になってしまう。人に何かしてもらうのも、人に何かをするのも、ささやかなことであっても、とびっきりの笑顔で、大きな声でするほうが気持ちいいですよね。
私の今の贅沢ですか?日本に戻って食べる果物ですかね。特に今は蜜がいっぱい詰まったリンゴにはまっています。(笑)
◇
すでに7年ほどのつきあいになるという「子午塘茶社」の馮霞さんは、実は宮崎さんが日本人であることを知らない。日本語が話せる中国人だと思っているそうだ。それほど流暢に中国語を操る宮崎さんだが、今年に入りある期間、通訳の専門学校に通った。また、気功の治療に役立つからと去年始めた八卦掌と太極拳は、今年の7月に北京で行われた太極拳の国際大会2種目で優勝した。今も毎日のように公園に向かい、練習を続けている。
このように、17歳のときに北京の気功治療院で働く若者たちの姿に心を打たれた宮崎さんは、その時の感動や情熱をたやすことなく、今も日々の鍛錬や学びの姿勢を持ち続けている。やり始めたことは、一生続けるという覚悟を持って、全力で取り組む。おそらく宮崎さんは、気功療法士として人を治療するときも、お茶を入れるときも、自分の中の愛を存分に注ぎ込んでいるのだろう。宮崎さんは、「気功とは人生、人の生き様そのもの」だという。目に見えないことで理解されにくい、気功という途方もなく膨大な学問に人生をかけて向き合っている宮崎さんの姿に心を打たれた。
<四恵茶城のデータ>
北京市朝陽区高碑店通恵河畔 四恵大廈茶城
地下鉄1号線四恵東駅下車徒歩15分(地下鉄A出口)



<子午塘茶社のデータ>
北京市朝陽区高碑店通恵河畔 四恵大廈茶城 1029W
Tel:010-59231426
宮崎さんのお勧めは、店主の馮霞さんが自ら宜興に行って仕入れてくるという紫砂製茶器とプーアール茶。プーアール茶は、100年以上の歴史を誇る老舗から、100年以上の老木から摘み取った茶葉を仕入れているという。プーアール茶は、秋以降、美味しさが増す。



<推薦人のデータ>
宮崎姿菜子(みやざき しなこ)さん
出身 広島県
北京滞在暦 19年
●中国の食べ物で一番好きなもの
佛跳墙
●中国を漢字一文字で表すと?
易
●中国(北京)で生活していてどういったときに良かったと感じますか?
漢方などが手軽に手に入る
私の専門としている分野での優れた先生と直接触れ合うことができる
●中国に住んでいるからこそ、実感する日本への思い
自然を大切にする心
海外にいると、日本をほめたたえてくれる外国人が多いのはとても嬉しい
●中国にいるからこそ見えてくる日本のいい点と悪い点
日本人は時々心に余裕がないと感じることがあります
●こちらに来て感じた中国人と日本人の違い
基本的に「信用」に対しての意識が違う
●中国にあって日本にないもの
星座で性格を決めつける習慣(日本は血液型)
学年が同じでも、生まれた日にちでしっかりとした上下関係を作るところ
(日本は学年が同じであれば、それ以上はこだわらない)
●中国人に見習うべきところ
白黒はっきりしているところ
(執筆 MZ)
「人民網日本語版」より



