<北京のお気に入り>歴代の皇帝が見た風景を一望できる場所

2017-08-05

北京を代表するビュースポットと言えば、やはり景山公園がまっ先に挙がるだろう。故宮の真北に位置する景山の山頂からは故宮の全景が間近に一望できる。それは、北京ならではの格別なもので、見る人を圧倒させる光景だ。特に夕陽が沈む景色が有名で、黄金色の故宮の屋根が夕陽に照らされて輝く様は非常に幻想的で美しい。この時間帯になると夕陽を撮影しに多くの地元の写真愛好家が集まってくる。

元、明、清の時代に皇室の庭園だった景山公園は、すでに800年の歴史を誇る。景山は、横一列に並ぶ5つの峰からなり、万春亭という東屋が建つ、最高地点の中央の峰は、高さ44.6メートル。元の時代の宮城を取り壊した際に出た瓦礫と新しく造営された紫禁城の堀の土砂で作られたという人工山だ。風水では北方から邪気がやってくると信じられており、故宮を守るために真北に造られたという。

景山公園の歴史遺産の中でも特に有名なのが明朝の最後の皇帝・崇禎帝が槐樹に腰帯をかけ縊死したという「崇禎自縊処」。1644年に李自成率いる反乱軍が北京城内に攻め入ると、崇禎帝は自らの手で皇后や王子を殺害し、身辺に残っていた宦官1人を携えて景山に逃げ込み、東の麓にある槐の木で縊死したという。当時の槐樹は文化大革命の時に近衛兵に伐採され、現在ある槐樹の老木は1981年に移植されたものだ。

この景山公園を北京のお気に入りとして推薦してくれたのは、日中間の地域交流の促進を図るなど、日本の「地方自治体版大使館」と称される自治体国際化協会(クレア)北京事務所の所長を務める寺崎秀俊(46)さんだ。

2013年3月まで熊本市の副市長を務めていた寺崎さんは、総務省(旧自治省)からの派遣で昨年6月にクレアの所長として北京に赴任した。以来1年3カ月の間に、景山公園に訪れた回数は、すでに14、5回を数える。月1以上のハイペースで景山公園に訪れている。

ーー昨年6月に中国に赴任してきて、まずは何を置いても故宮に行こうと思ったんです。浅田次郎さんの小説「蒼穹の昴」を読んで、故宮に対する思いが膨らんでいたこともありますし、皇帝が明から清にわたって長く暮らしていた宮廷をそのままの姿で見れるなんてすごいことですよね。

故宮に行った日は、とても暑い日で、6時間かけてヘロヘロになりながら故宮を見終わって、北門を出て見上げると、こんもりとした緑の空間がありました。これはなんだろうと思って、入って歩いてみると、偶然崇禎帝が縊死した場所に出たんです。崇禎帝の話は以前にも何かで読んで知っていたので、「これが、大中華を治めた皇帝が寂しく首を吊って死んだ場所なんだ」と感慨深いものがありました。

その日は天気はあまり良くなかったんですが、上に登っていくと、山頂から360度北京の光景が眺められました。とてもいい風が吹いていて、これは素晴らしい場所を見つけたなと感動しました。それ以来、今日は天気が良さそうだなと思うと、バスを乗り継いで一人で景山公園からの夕景を楽しんだり、日本から友人が来るたびに案内したりしています。

これまで何度も訪れてますが、季節によって日の沈む方向が変わるんです。そうすると、故宮の瓦を照らす光の角度も変わります。時期や時間帯によっても、全然雰囲気が変わります。最近はまっているのは、夕景ですね。先日は、すごくきれいな夕焼けが見えると同時に、逆の方向からはスーパームーンが見れるという贅沢な景色を味わえ、最高でした。

あと、この景色は、崇禎帝も含めて、皇帝が眺めた景色そのものだと思うと感慨深いです。もちろん当時に比べるとビルがたくさん建ちましたが、少なくとも故宮や北海公園の方向に見える景色というのは当時の北京のままですよね。歴代の皇帝が眺めた景色を今自分が見ていると思うと、感無量ですね。

国の内政を司る旧自治省(現総務省)に入省した寺崎さんは、熊本市の副市長を務めた4年を除くと、これまでほぼ1、2年ごとに部門・役職がめまぐるしく変わっている。通常、総務省のキャリアは、地方自治体に出向し、地方公共団体の管理職を務めた後、国に戻って、最終的に国の制度設計に携わっていく。東京の霞ヶ関では制度設計を、地方では現場のプレイヤーとして仕事するというローテーションを繰り返して経験を積んでいくのだ。いわば、外交官の国内版のようなイメージだ。この慣習でいくと、熊本市の副市長を務めた寺崎さんは、その後再び霞ヶ関に戻るはずだった。しかし、内示を受けた移動先は思いも寄らない北京の地だった。

ーー正直、北京と聞いてびっくりしました。94年にニューヨークには赴任していますから、英語圏であればともかく、中国語なんてやったこともない。できることならお断りしようと思いましたが、しばらくすると、その考えが変わりました。

待てよ、もう海外で暮らすこともないと思っていたところに、ライジングサンのごとき勢いのある中国を自分の目で見ることができる絶好のチャンスであり、日米中という経済大国トップ3で生活体験を持てるというのも自分にとって大きな糧になるんじゃないか、と考え直したんです。その夜、初めての単身赴任となることについて家族の了解を得て、翌朝、行かせてくださいと返事しました。結果的にこの判断はとても正しかったなと思っています。

実際訪れた北京は、かつて赴任したニューヨークに比べると断然暮らしやすい街だったという。

ーーまず、北京は治安がいいですよね。NYにいる頃は、ジュリアーニ市長になった時だったので、治安も大分良くなってきていましたが、それでも夜にミュージカルを見終わって9時になると、歩いて帰るのは危ないと言われ、明るいところでタクシーをつかまえて帰宅するというのが習慣でした。それに比べると北京では、夜の10時でも、12時でも、皆平気で酔っ払っい、その後も歩いて帰れますからね。もちろん犯罪はありますけど、それは日本でもあるわけで、外国の町でこんなに治安に気を使わなくてもいい場所は珍しいと思います。

また、食べ物も基本的に日本と親和性が高いですよね。日本人は中国料理を食べ慣れていますから。個人的にも中国料理は大好きなので食には困らない。値段的にも上昇しているとは言え、日本に比べるとまだまだ安いです。

問題は言葉だけですね。ただ、通常の業務は日本語なので、タクシーに乗ったり、買い物したりといったサバイバル中国語さえできれば、別に大きな問題ではありません。

通常の生活においては想像以上に早く適応した寺崎さんだが、業務上では、戸惑うこともあったという。

ーー中国と日本でスケジュールを決める時、中国側のスケジュールがなかなか決まらないんです。日本は、特に役人の場合は、1月前にはアウトラインが決まって、少なくとも1週間前には細かいスケジュールを出すのが通常ですが、中国では極端な話だと当日にならないと決まらない。日本側からすると、知事が行くのに、誰と会うかさえ決まらないなんて、意地悪されているのではないかと思ってしまう。

ただ、中国側の体制ややり方を知ると、それは決して意地悪ではないんですよね。しかも大抵当日になると見事に上手くいくんです。基本的に準備をしていないわけではなく、事前に物事を決めない、あるいは発表しないだけなんですよね。ただ、間にたつ立場としてはドキドキしますし、心臓に悪いです。政府の意思決定の仕方が違うということにやはり戸惑いを感じました。

またマスコミの対応の仕方も異なります。日本の場合は、知事や市長が海外出張する場合は、当然自らが記者会見で情報をオープンにして、帰国してからも会見で報告を行います。でも、中国では報道官が代理で行い、省長や書記が自ら記者会見するということはないですよね。このほか、知事などが中国に来て要人に表敬訪問をする際には、日本人からすると少なくとも冒頭はマスコミに公開するものなのですが、中国の場合は様々な制約があったりする。

このように、日本の価値観をそのまま持ってこようとすると、違うなということがたくさんありました。なので、我々の仕事は中国の風習や思考、やり方に悪意がないということを日本側にわかってもらわなければならない、いわば通訳としての役割も担っています。

こうした経験を通して、寺崎さんの中で、中国、ひいては海外で仕事をする上で改めて大事だと感じることがあった。

――やはり文化の違いを、違いとして認識することが大事だと思いました。違いというものを認識しないで、自分たちの価値観ですべてを測ると、それは良い、悪いの判断になってしまう。まずは価値観ややり方が異なることを前提に、土台が異なるということを理解し、良い、悪いで判断してはならないと思いました。

北京における仕事の中で、このことを強く意識させられ、深く印象に残った出来事があるという。

ーー年に1度、日中地域間交流推進セミナーというのを開くのですが、昨年のセミナーが開催された際に、クレアが行っている外国青年招致事業(JETプログラム)に参加した経験者を集めて意見交換会を行いました。その際に、中国の方々が皆、国有化問題の影響で、日本との交流が途絶えたことを非常に嘆いているのが深く印象に残りました。これらの人々は皆日本との交流や交渉を主な仕事として活躍している人たちなので、日本との交流がなくなれば、活躍する場所ががなくなってしまう。

日本の地方自治体は国からは独立した存在なので、なぜ国家間の問題のせいで、地方の交流までストップされなければならないのか?何十年もかけて築いてきた友好関係が無駄になってしまうじゃないか?といった被害者意識を持っていたのですが、よく考えてみれば、1番つらい立場にあったのは、中国側の窓口のこういった人々だったというのが理解できたんです。中国の国家体制では国と地方政府が同じ判断で動くのが当然ですから、日本の事情とは異なります。この経験からも物事は両面見なければならないということを強く思いました。

寺崎さんが北京に赴任した時期は、国有化問題で冷え込んだ中国と日本の地方交流が、徐々に回復し始めた頃だった。

ーー赴任する直前の2013年6月20日に中日条約40周年イベントが中日友好協会主催で行われました。また、8月頭には、神戸市と天津市の友好都市40周年イベントも行われました。実は、私の出身地でもある神戸市と天津市は、日中間で最初に締結された友好都市です。しかも中国にとっては、初の海外との友好都市がこの締結です。そういう意味でも、国同士の関係が厳しい中で、両国の最初の懸け橋となった両市の友好事業記念イベントが開催されたことは意義深いことであり、神戸市と天津市双方の相当な努力があったからなんです。こうした日中両国の地域間交流に携わる人たちの熱意もあって、現在は、概ね元通りの状態に回復しつつあります。

ただ最近、少し感じている問題は、書記や省長といった中国の地方政府トップがなかなか訪日されないことです。公費の乱用が問題視され海外出張などの費用が厳正化されていることや、日本に行って何かトラブルがあったらどうしようかといった危惧を持たれていることもその背景かと思います。ただ、交流とは、青少年交流や文化交流といったものだけでなく、それぞれのトップ自ら相互に行き来するというのがとても大事だと思いますし、日本側からは知事が出かけていくのに、中国側のトップは何故訪日しないんだ?、もうこちらから行く必要はないんじゃないか?といった声も出てきかねません。是非、中国の地方政府のトップの方々にも日本の友好都市などをもっと訪問していただきたいなと願っています。

もともと寺崎さんが国家公務員を目指すきっかけとなったのは、中学1年生の時に読んだ吉村昭著「ポーツマスの旗」という本を読んだことだった。これは、外相・特命全権大使だった小村寿太郎が日露戦争後、ポーツマス条約を締結するまでの交渉を描いた本だ。

ーー昔から読書好きで、中学の時は図書館にある本をかたっぱしから濫読してました。歴史が好きだったので、ポーツマス条約のことは知っているけど、この本は何だろう?と気になってたまたま手にとって読んだのが、「ポーツマスの旗」でした。

日露戦争が終わったとき、日本の世論は大国ロシアに勝ったのだから、賠償金や領土をたくさん獲得できると考えていました。しかし実際は、日本の国力はほぼ尽き、戦争継続は選択肢になく、講和条約を成立させることが不可欠な状況下にあったのです。こうした事実を知らない人々は、苦渋の決断でポーツマスで講和を成立させて帰国した小村寿太郎に罵声を浴びせ、その私邸に投石したといいます。

少しヒロイズム的ではありますが、国民感情とは別のところに、国家のために冷徹な判断をして、そのために罵声を浴びても耐えらなければならない人がいる、そういう仕事があるんだと感動しました。自分も同じく、国のための仕事がしたい、と思ったんです。

寺崎さんの本来の立場は、国家公務員。しかし、地方においては地方の利益のために働き、海外にいる現在は、国と国の関係とは異なるところで、日中間の地方同士の交流を深める仕事に携わっている。そんな寺崎さんが景山公園から見る故宮の景色は、我々が見る景色とは異なっている。そこには、個人だけでなく、国や地方という視点や意識が含まれているからだ。見ている先は、もっと広く、大きく、多層的だ。

ーー敦煌に行って、漢の時代に関所だった玉門間にも足を延ばしました。日本がまだ国家も何もない時に、ここから飛行機で3時間もかかるようなところに2万人の兵隊を常駐させて国境防衛に当たらせていた。あんな辺境に2万人を置くということは、人数の多さもそうですが、国力の凄さに驚きます。それが延々と今に続いているわけです。王朝が変われど、その皇帝権力の凄さ、スケールの大きさに圧倒されます。

景山公園から眺める風景は、見えるものは北京の一部に過ぎないかもしれないですが、国という概念で見ると、そこから中国全土に広がりを感じることができます。ここから、皇帝は全中国を見ていたのかと思うと、凄いことですよね。中国の国家の体制として、いったい、どのように統治していたのだろうと思うと、それは今も含めてですが、興味がつきることはありません。

寺崎さんが北京に滞在できる期間は限られている。そのため、現在、時間が許す限り、中国全土を貪欲に旅行しているそうだ。今年の7月、8月の2カ月間だけでも、出張も含めると、広西チワン族自治区桂林、雲南省麗江、四川省成都、九寨溝・黄龍、内蒙古自治区、貴州省、西蔵(チベット)自治区などに行っている。

おそらく、寺崎さんは、中国各地を回ることで、中国の広大さと多様性を直接肌で感じたいと思っているのではないだろうか。それは、「ポーツマスの旗」を読んで国のために仕事をしたいと熱い思いを抱いた少年の純粋さや好奇心にも繋がっているように思える。寺崎さんが北京で見て感じたことや新たに得た視点、それは中国の地から日本を客観的に見るという視点も含め、直接的ではないにしろ、必ず将来日本の内政の仕事に活かされていくことだろう。

<景山公園を一望できるビュースポット・北京皇家驛棧酒店のデータ>

住所:北京騎河楼街33号 Tel:86-10-65265566

天安門付近には、景山公園を一望できるもうひとつのビュースポットがある。それが、北京皇家驛棧酒店だ。この一帯は高いビルがなく、何ものにも邪魔されずに、景色を堪能できる。カフェレストランの屋上テラスでゆったりとお茶や食事を楽しみながら、悠久の歴史を感じるのもおすすめだ。

週末の夕刻から夜にかけての屋上テラスのテーブルは、2、3日前から予約でいっぱい。予約を入れてから出かけるのが確実だ。

<推薦人のデータ>

寺崎秀俊さん

中国滞在歴 1年3ケ月

出身地 兵庫県神戸市

●中国の食べ物で一番好きなもの

火鍋

●中国を漢字一文字で表すと?

●中国で生活していてどういったときに良かったと感じますか?

世界最速のスピードで成長する国家のエネルギーを体感できること

●中国にいるからこそ見えてくる日本のいい点とわるい点

いい点 高い規範意識とサービス水準

悪い点 迎合しやすい風潮

●こちらに来て感じた中国人と日本人の違い

中国人は自分や家族を大事にし、国や社会に頼らず生きようとする

日本人はルールを大事にし、社会や組織への帰属意識が高い

●中国にあって日本にないもの

多様性

●中国人に見習うべきところ

自分自身の力で生き抜こうとする力強さ

●告知

9月11日から11月30日まで、上海・吉盛偉那国際家具村にある

ORIENTAL

DESIGN「日本家居生活館」において、日本が誇る

高品質の湯飲みや茶わんなどを展示販売する茶器工芸展を開催します

「人民網日本語版」より

人民網日本語版

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