中国の民族楽器、まずその歴史と発展を見てみよう

2017-10-24

▲中国の民間楽器の出現と発展

中国の民族楽器は悠久な歴史があり、大昔の頃にすでに現れ、ずっと発展をとげてきた。出土した文物は、早くも秦の統一(前221年)以前(一般に春秋戦国時代〔前770-227年〕のことを指す)に多種多様な楽器が現れていたことを裏付けている。

古代楽器は一般に二重の機能――表現性と実用性を持つものであった。つまり、これらの楽器は当初、音楽を演奏するものでもあれば労働と生産をおこなう道具または生活用具でもあった。楽器の実用性は、いくつかの楽器がもともと生産道具または生活用具であったばかりでなく、人々がそれでいくつかの特定の生活情報を伝えたことにも現れていた。例えば、陣太鼓を叩いて出征すること、陣鐘を鳴らして兵を引き上げること、朝に鐘をつき、夜に太鼓を打ち鳴らして時を知らせること、夜回りをしながら時を知らせること、ドラを打ち鳴らして露払いをすること、太鼓を打ち鳴らして官吏が登庁して案件を審理することなどがそれであった。中国では一部の少数民族は今になっても口弦(楽器の一種)を吹いて愛情の気持ちを伝えるやり方を保ちつづけており、それは愛情を表わす手段と愛の契りの証しとなっていた。

秦の統一以前の頃の楽器は史料に記載されているものが約70種もある。『詩経』だけでも29種にふれており、打楽器には太鼓、鐘、鉦(しょう、古代銅製の打楽器で、行軍の際に打ち鳴らしたもの)、磬(けい、銅製の椀形の仏具と楽器)、缶(ふ、甕のようなもの)、鈴など21種があり、吹奏楽器には簫(しょう、タテにして吹く長い笛)、管(さまざまな管楽器のこと)、塤(けん、土笛)、笙(しょう、いろいろな長さの十数本の竹の管で作った吹奏楽器)など6種があり、弦楽器には琴、瑟(しつ)など2種のものがあった。楽器の品種が多く増えたため、周(約前11世紀-前256年)の時期には楽器を作る素材によって、金属、石、土、皮革、弦、木、匏(ほう、瓢たんの実)、竹という8種類に分けられ、「8音」分類法と称された。

湖北省髄県の曽侯乙墓の地下音楽殿堂の中には124件の古代楽器が保存されていた。2500キロ以上に達する楽器の巨人である64件の編鍾セットにしても、それとも造型、製作、色付がすべて非常に手が込んだ太鼓、排簫(はいしょう)、笙、瑟にしても、いずれも春秋戦国時代の中国の音楽文化の発展ぶりを示すものであり、これらの楽器は中国の古代楽器の光り輝く創意の証しである。

秦(前221-前206年)、漢(前206-220年)以来、中国にはさらに新しい楽器が現れつづけた。例えば、秦代には1種の新しいタイプのつま弾く弦楽器の弦鼗(げんとう)が現れた。それは円形の音響箱、真っ直ぐな柄のある琵琶(びわ)であり、漢代になってからは4本の弦、12本の琴柱がある「漢琵琶」へと発展し、「阮咸(げんかん)」とも称された。

中華民族は新しいもの、外部のものを吸収することに長じた民族であり、漢代以来、数多くの外国の楽器を幅広く取り入れてきた。例えば、漢の武帝(前140-前87年)の頃に張騫という人が使節として西域(新疆および中央アジア各地)へ派遣された際、笛を伝え、西暦350年ごろの東晋(317-420年)の時期には新疆、甘粛一帯から「曲項琵琶」が伝来し、明代には揚琴(小さな台形の音響箱に多数の弦を張って竹製の棒でたたく打楽器)とチャルメラなどが伝えられた。これらの外部から伝来した楽器はたえず改良を経て、中国の数多くの民族楽器の重要な構成部分となった。

中国楽器の発展史において、注意しなければならないのは弓で引く弦楽器の出現が、打楽器、管楽器とつき弾く弦楽器よりはるかに遅かったことである。史料の記載によると、唐代(618-907年)になってはじめて竹の板を圧して作った「軋筝」と「奚琴」(宋代〔960-1279年〕に「嵆琴」と改称された)が現れたことである。宋代の嵆琴は馬のしっぽの長い毛で作った弓で演奏するものであり、「胡琴」(つまり胡弓)という名称もこの頃に現れた。元代(1206-1368年)以後、胡弓を基礎としてさまざまなタイプの弦楽器へと発展をとげた。

中国の「吹奏楽器(管楽器)、打楽器、つま弾く弦楽器、弓で引く弦楽器」という4種類の楽器は長い発展段階を経てきた。新中国成立(1949年)以後、中国は民族楽器の面でさまざまな模索と改革を行い、大きな発展を遂げるとともに、多くの成果を収めた。

▲中国の民間楽器の特徴

楽器は人間と同じように個性があり、人間のノドのようにある人のノドはテノール(あるいはソプラノ)の声域の歌を歌うことができるが、ある人はバス(あるいはアルト)の声域の歌しか歌えないのである。

中国の楽器はたくさんの種類があり、いずれもそれぞれの演奏の特徴を持つものである。例えば、「二胡」(胡弓の一種)は悲しみを表現することに適した楽器であり、このため、視覚障害者であった音楽家の阿炳という人はそれで寂しさと苦しみを表現した。

中国の楽器の中で、琵琶は比較的に特色が目立たないものであり、ピアノのように非常に際立った特色はないが、さまざまな風格の楽曲を演奏することができ、うきうきするものも演奏できれば、悲しみに満ちたものも演奏できる。これはその包容性を示すものであり、気迫に満ちた俳優のようにどんな作品でも演じることができるのである。

古筝も同じようなものである.それはいったん演奏すれば、チョロチョロと流れるせせらぎではなく、空の果てから押し寄せてきた、止まることのない、いなづまと雷を交えた風雨であり、人を抽象的な世界にいさない、いろいろと想像をめぐらせることになる。琵琶も同じである。琵琶と古筝はみなこのような主役格の役者に等しいものである。

一般の楽器はその音を聞くものだが、簫と古琴(七弦琴とも言う)はその韻を楽しむのであるため、いっそう大きな忍耐力でそれを満喫しなければならず、想像力を借りることを必要とするものである。簫で吹奏した楽曲と古琴で演奏した楽曲を楽しむには目を閉じ、自分に現実の生活からいったん離れさせることが必要である。簫は悲しみに満ちた音色で、寂しさと苦痛を表現することに適している。簫は笛と全く違ったもので、笛は明るさを特色とし、「花を咲かせた葦の原の奥に、小舟が停泊し、月の光に明るく照らされた楼台から笛の音が伝わってくる」という笛の楽曲はなんと明るいものだろう。ほかでもなく、この笛の音によってこそ、月の光がさらにさえたように見え、詩の世界は寂し過ぎるものではなくなる。笛は泥臭いものに見えるが、簫は書生っぽさのあるものであり、異なった役割があり、根本的な違いがあり、放牧している少年が牛に背にまたがって簫を吹いているなど全く想像しがたいものである(中国には誰もがよく知っている、牛の背にまたがって笛を吹いている少年という中国画がある)。

中国の楽器の中で、チャルメラは不思議な楽器で、その演奏は楽しんでいたと思うと悲しみ、人に全くはかり知れない感じを与えるものである。中国の広大な農村では、結婚式のようなめでたい時でも、葬儀のような悲しい時でも、チャルメラの驚いたり急に引き裂くようにしたりする演奏がある。こうした楽器の性格的変化は速過ぎ、常態がないので、それを使うかどうかは全くその時の環境によって決まり、それが場面を決めるのではなく、場面がそれを位置付けるのである。

チャルメラと対極にあるのが笙である。唐代には「笙を吹いて鳳を引き付ける」という物語があった。その鳳は何よりもまず笙の音には聞くものの興味をそそるため、飛んできたのである。笙は韻を取柄とする楽器であり、その音はうら寒さを感じさせるものである。そのうら寒さというのはそれほど分かりやすくはないが、明るくなく、音がかれることなく、簫の味わいを秘めているが、簫ではないのである。

中国の楽器の中で、その音に最も明るさがあり、胸を打つものがあるのは京胡(胡弓の一種、主に京劇の伴奏に用いる)を上回るものはない。京胡は個性的ではない役者のようなものであるが、いたるところにその明るさと胸を打つものを感じることができ、伝統演劇の中の飾り物である。

中国の楽器の中で喜劇的な雰囲気をかもし出すものはとても少なく、雷琴は唯一のものであるようで、ニワトリの鳴き声、馬のいななき、さまざまな小鳥のさえずりを真似ることができる。『百鳥朝鳳』(いろいろな鳥が鳳に目を向けて競い合うがごとくさえずる)という楽曲は雷琴で演奏すると、人々は楽器で演奏していることを忘れてしまうほどである。

中国の楽器の中で、最も不思議なものは塤であり、人々の前でそれを吹奏しているのに、遠くから伝わってきた音のように聞こえ、遠くでそれを吹けばかえって近くからの音のように聞こえるのである。それは韻で取柄とする楽器であり、われ関せずえんと超然たる態度で独立独歩する特色があり、世の中のいかなる事もそれと少しもかかわりがないようである。それは夢の世界の音韻であり、いったん現実の真実に直面すると、塤の魅力はたちどころに消え去ってしまうのである。

「チャイナネット」より

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