地下鉄環状線の建国門駅を降りて約一分のところに観象台があります。これは古代の天文台です。この古代天文台は、元の時代の天文台だった「司天台」の跡に、明の正統7年(1442年)に建てられたもので、明代には「観星台」と呼ばれていました。農業国である中国では、農耕に欠かせない暦を定め、公布することが、皇帝の権威の象徴であり、歴代皇帝は暦造りの基礎となる天体観測に大きな力を注いできました。
北京に入って政権の座に着いた清朝も、すぐに天文台の整備と暦の作成に取組みます。そして「観星台」を「観象台」と改名し、前述の順治帝と親しく、天文学にもくわしかったアダム・シャールを二品、つまり大臣待遇で欽天監監正(天文台台長)に任命します。

シャールが西洋の新しい天文単位をとり入れて作った『時憲暦』は、かなり精確で、清王朝のもとでずっと使われました。またここでは、気象観測もおこなわれ、清の雍正2年(1724年)から光緒28年(1902年)までの180年間にわたって、毎日欠かさず記されたくわしい気象資料が残されています。
この古代天文台の遺跡は、北京古代天文儀器陳列館として国の重要文化財に指定され、一般開放されています。観測場だった屋上には、明・清時代の青銅製の天体儀器が、当時のままの姿で並べられています。竜を図案にとり入れたものなど、どれも観測儀器というよりも芸術品といった方がいいかも知れません。ここからの見晴らしも快適です。
古代天文台の1万平方メートルの敷地には、中国北方の伝統的な住宅形式である「四合院」の家屋と庭があり、その母屋である紫微殿は、中国古代の天文学の姿を伝える展示場となっています。槐の木など、みどりの美しい庭には幾つかペンチが置かれています。
日本人がよく泊まるホテル「長冨宮」から歩いても5分。北京の街のど真中に身を置いているとはとても思えないほど静かなひとときを過すことができるでしょう。
文・李順然
「人民中国」より



