「宝蘊楼」という名前には「宝」が関係している。1911年の辛亥革命後、退位した溥儀(宣統帝)は紫禁城の後宮で生活し、前朝代が所有していた宮殿はすべて北洋政府に引き継がれた。1913年初め、北洋政府内務総長は袁世凱大統領に、瀋陽故宮と河北承徳の避暑山荘の収蔵品を北京に移すことを決めたと報告。当時の北京城には文物を保管する場所がなかったため、紫禁城の咸安宮旧址に国宝を保管するための倉庫を建設することになった。内務部と外交部は、倉庫建設に庚子賠償(義和団事件による賠償金)から20万元を拠出することを決めた。

史料によると、宝蘊楼は1915年に完成し、3150箱、23万点の文物が保管できる。文物の多くが金、石、玉、宝、貴重な書籍であることから、その価値は計り知れず、「宝蘊楼」と命名され、石の扁額が北楼の正面に作られた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年11月9日



