北京・地下鉄の歴史について

2017-11-23

▲地下鉄のはじまり

中国初の地下鉄は1965年に北京で建設が始まりました。当時、北京の人口は300万人余り、自動車の数もわずか5000台ほどでした。このような中、都市に地下鉄を建設することはあまりにも贅沢なことだったと考えられていました。

1949年に産声を上げたばかりの新中国は、そのわずか半年後に朝鮮戦争に巻き込まれ、避けることはできませんでした。そんな世界の流れの中、この誕生したばかりの赤色政権は、アメリカ海軍の第7艦隊が台湾海峡入りしたことをいぶかしく感じていました。これを受けて、新中国の指導者は同じ社会主義陣営のソビエト連邦の経験を参考にし始めます。

第二次世界大戦中の1941年、ドイツ軍がモスクワに侵攻した時、モスクワの地下鉄はスターリンを始めとする最高指揮本部となっただけでなく、多くのモスクワ市民が毎晩、空襲を避ける避難所になりました。当時、地下鉄の軍備的機能は第2次大戦下のモスクワで最大限に発揮され、このことは中国の指導者にとって大きな啓発となりました。

▲中国初の地下鉄誕生

しかし、1960年代に入り中国とソ連の国交が悪化して以来、ソ連からの設計と工事の支援を失った中国の地下鉄建設者たちは苦難に満ちた地下鉄建設の道を歩み始めました。それから4年の建設期間を経て、ついに中国初の地下鉄・北京1号線が新中国成立から二十年後の1969年10月1日に正式に運行を開始しました。

▲軍備用から民間利用へ

世界のほかの国の地下鉄と比べ、中国初の地下鉄・北京1号線地下鉄の建設は簡素なものでした。当時の周恩来首相は「北京の交通だけを考えれば、公共バス200台を買えば、充分に解決することが出来る」と指摘していたことからも伺えます。当初、この北京1号線の利用者は一般市民ではなく兵士でした。地下鉄の輸送量は一日平均延べ五つの師団を西山から北京市内へ輸送することのみを考慮していました。

そのため、多くの国の地下鉄、特にモスクワ地下鉄の地下宮殿のような華麗で壮大なものなどと比べて、中国の地下鉄の駅は素朴なものになりました。当時の北京の地下鉄の整備はその軍備的な機能のみに焦点が当てられていたのです。そして21世紀に入った現在、地下鉄の建設が飛躍的に発展し、2020年までに全国に地下鉄を持つ都市は45になります。地下鉄は近代都市化のシンボルとして発展し続けています。

「中国国際放送局」より

中国国際放送局

モデルコース
人気おすすめ