"四分五裂"、ばらばらに裂けること。まとまりのあるものが秩序を失って乱れることを表します。国や政党がひとつにならないことをを形容する場合が多いです。
この四字熟語の出典は、『戦国策・魏策』です。『戦国策』は前漢の劉向(りゅうきょう)がまとめた書物です。主人公は戦国時代に活躍していた諸子百家の1つ、縦横家たちです。「戦国時代」という言葉もこの本に由来するそうです。
"四分五裂"も、縦横家の一人、戦国時代の外交家の代表的な人物の一人、張儀にまつわる話です。まず、その歴史的背景についてご説明します。
中国の戦国時代、七つの国、つまり、秦、韓、魏、趙、斉、楚、越が覇権を争っていました。戦国時代の末期になると、西部に位置する秦の国がますます強くなり、東部にある6ヶ国は自らの力で秦に対抗できなくなり、即ち、「一強六弱」の状態でした。
対策を講じなければ、弱い6つの国は、だんだんと秦に侵略されてしまいます。逆に6ヶ国がもし一致団結できれば、何とか秦に対抗できそうです。縦横家の代表的な人物の一人、蘇秦の提案です。つまり、各国が生き残るために、6つの弱い国が力を合わせて、秦に対抗するという「合縦策(がっしょうさく)」です。一番強い国、秦が西にあります。秦以外の6ヶ国は秦の東に南北に並んでいますので、この縦に並ぶ国が力を合わせて秦に対抗することを、合縦と呼ばれます。
秦も負けてはいません。合縦策を打ち出した蘇秦と同じ先生のところで一緒に勉強した張儀を起用しました。張儀は「合縦策」を切り崩すために、「連横策」を主張します。つまり、6ヶ国それぞれが単独に秦と同盟を結んで、延命を図るのが賢明だという主張です。実際の意味は、東にある小さな国が西にある強い秦と東西に並ぶという意味です。
張儀はこの「連横策」を持って、各国へ説得に走りまわりました。四字熟語"四分五裂"は、張儀が魏の国へ行き、魏の王を口説いた時に、使った言葉です。
張儀がどのような弁舌で、魏王を口説いたか、『戦国策』に書いてありますので、ご紹介します。
張儀は魏王に言いました。
「魏の立地条件が好ましくないのです。鄭や陳、楚、韓、趙、及び斉に囲まれていて、いざ戦争になると、容易に守ることが出来ません。これは致命的な弱点です。南の楚と連合するなら、斉が東から攻めてくる。斉と連合するなら、趙が北のほうで挑発するだろう。また、韓とうまく行かなければ、韓の軍隊が西から攻撃してきます。楚と仲良く出来なければ、楚が南から進攻してくるだろう。このように、今のままでは少しでも油断すれば、戦が始まります。安全は保障されていません。これはまさに「四分五裂」の状態と言います。」と、魏王を脅かしました。
魏王は心配になり、「何か方法があるか」と聞きました。
張儀は魏王の心が動いたことを見て、更にこう進めました。「王のためには、秦と連合したほうが一番いいと思う。秦が強いので、秦と連合すれば、他の国が侵攻してこないでしょう。これで魏は滅びるおそれもない」と語りました。
魏王は張儀に脅され、それまで他の国と結んでいた合縦の盟約に背いて、張儀を通じて、秦と講和を結びました。秦と講和を結んだから安全になったというわけではありません。最終的にこれらの国は全部秦に滅ぼされ、結局秦が中国を統一しました。
昔の歴史を知っている現在の私たちにとっては、秦の統一は、必然的なことですが、当時の戦国時代に生きた人たちは、生き延びるために、可能性を求めて一生懸命頑張った訳です。そんな歴史を教えてくれる四字熟語が、"四分五裂"でした。
「中国国際放送局」より