中国の昔話・「カビの生えた豆腐」

2018-06-23

いつのことかはっきりわからん。南にある桂林近くの四塘にある横山村に豆腐屋があった。豆腐屋といってもごく小さな店で、夫婦と娘の三人は毎日、朝早くから豆腐を作ってはそれを売って過ごしていた。この店の豆腐は真っ白な上にふわふわとやわらかく、それに味もいいので、ここら一帯では評判よく、いつも売り切れであった。

と、年の初めの日、昼前に豆腐を売っていた。すると遠くで誰かが大声で何かを伝えているので、どうしたのかと通りがかりの人に聞くと、桂林一帯では名の知れた、歌がとても上手な劉姉さんが、いまから広場で村人に歌を披露するという。劉姉さんの歌がとても好きな夫婦は、これはなんとしてでも聞かないと、次はいつになるかわからんと、娘を連れ店を閉めて広場に向かった。

そしてこの日から劉姉さんは、ここに来るのは久しぶりで、村人に自分の歌を沢山聞いてもらおうと、村に泊り込み、なんと五日間続けて歌をうたい、村人たちを大いに喜ばせた。

こうして六日目に夫婦と娘はやっと店を開けたが、数日前に売りはじめたばなりなのに、劉姉さんの歌が聞きたいため売るのをやめて残ってしまった豆腐を思い出した。そして入れ物を開けてみると、なんと豆腐にはカビが生えており、これじゃあ売り物にならんと父はいくらかがっかりした。母の方は、劉姉さんの歌を久しぶりにたっぷり聞いたので、そんなことには耳を傾けず、また興奮している。これに父ははいくらか頭に来て、カビの生えた豆腐を全部捨ててしまおうと言い出した。しかし、父が横目で睨んでいるのもかまわず、せっかく苦労したので捨ててしまうのはもったいないとといい、買ったばかりの大きな甕にこれらカビの生えた豆腐を並べ入れて塩と地元のうまい酒を沢山ばら撒き、蓋をし裏小屋にしまっておいた。

で、次の日からまた忙しくなり、三人はカビの生えた豆腐のことなどすっかり忘れてしまった。

さて、その年は日照りで、作物は多く獲れなかったが、それでも役所は、民百姓の暮らしなどかまわず、いつものように年貢を納めるよう求めた。こうして人々の暮らしにいくらか困るようになり、豆腐を売れ行きも落ちてきた。そこ豆腐を作っても余る日が多くなり、一日作る豆腐の量はいつもの半分に減らさなくては損するようになった。ある日、父が豆腐を作る釜の前でため息ついていると、娘が年の初めにカビが生え売り物にならなくなった豆腐を甕に入れて裏の小屋にしまったことをふと思い出した。

「ねえ。父さん、裏小屋にしまった甕の中のカビの生えた豆腐、覚えてる?」

「ええ?あ、あの売り物でなくなった豆腐のことか?あんなものしまっておいても何にもならんぞ。あのときにカビが生えたんだから、今頃は腐ってしまってるよ。早く捨ててしまいな。さもなきゃ、あの甕にくさい匂いが付いて使えなくなるぞ」

「そうかしら。あれ以上痛まないように、母さんと一緒に塩やお酒を入れといたんだけど」

「馬鹿なことしたもんだ。塩と酒がもったいないのに」

これを聞いていた母が言った。

「そんな、みてみなきゃわからないでしょう?カビが生えただけのときに、塩とお酒をあれだけ入れたんだもの。食べられるどうかは、あの甕の蓋を開けてみないとわからないわよ」

「お前たちも頑固だなあ。?腹がへったわしに腐った豆腐を食べ、腹をこわせというのか!っとにもう!仕方がないやつらだ!」と父は怒り出したが、娘は、それでも、あの豆腐がたべられたらそれは幸いと思って、大きな箸を手に小屋に向かった。そしてかの甕の上のほこりをきれいにふき、少し少し蓋を開けてみると、不意になんともいえない香りが鼻に来た。

「あれ?これは・・」と持ってきた箸で甕のなかから豆腐を一つ取り出してみた。それは四角い形を保ち、一緒に入れた酒の色がいくらか移り、元のカビなどなくなっている。それにどろどろした濃いたれが付いていて、つやが出ているみたいだ。

「あのカビの生えた豆腐か、どうしてこんなになったのかしら?」と娘はその豆腐の匂いを嗅ぎ、急に一口食べたくなったので、がぶりとはやらず、左手で少しだけ摘み取り、眼をつぶってそれを舌の上にのせてみた。するとどうだろう。これまで口にしたことのない味、つまり塩辛いが酒の味が濃く、またいくらか甘みをふくんだ味噌みたいな味がして、それが舌の上で解けてしまうようだった。あまりにもおいしいので、娘はいくらか興奮し、暫くそのままでいた。そこへ、娘が小屋に入っても暫く出てこないのでどうしたのかと母が様子を見にきた。

「おまえ、こんなところでなにしてるんだい?それは・・」と母は小屋に入ったときに、かの香りを匂いで「うん?」と声を出した。

「これは、なんだね。とてもおいしそうな匂いだけど・・・」

「あ、かあさん」

「おお?それはなんだい?あのカビの生えた豆腐かえ?いい匂いがするねえ。こりゃあ初めての匂いだ」

「わたし、いま少し食べてみて、あまりおいしいのでぼけちゃったわ」

「なにいってんだい?でも色もつやも出ていて、なんかうまそうだね」

「そう。食べてみる?」

「どれどれ?」と母は娘が箸で摘んでいた豆腐を指でちぎって口に入れた。

そして暫く眼をつぶり、味わっていたが、急に「これは舌がとろけるようにおいしい!」と眼を輝かせ、不意に小屋を飛び出し、娘の父を呼んだ。「おまえさん!おまえさん!おまえさんったら!!」

急に大声で呼ぶものだから、父がびっくり。

「なんだよ!なんだよ!急に大声出しやがって!金でもみつけたのか?」

「そうじゃないよ!ちょっと小屋まで来て見なさいよ」

「なんだよ!なにがあったんだい?」

父が来たので母は父を小屋に入れた。

「うん?いい匂いだな?お!、娘よ、お前が箸で摘んでいるのはなんだい?」

「とうさん、これが今年の初め、劉姉さんが村に来たときカビが生えた豆腐よ」

「うそつけ。でもうまそうだね」

「そう。お酒の色がして、つやがあるでしょう?どう、味見してみない?」

「味見?うまい匂いはそれか?へえ?信じられねえな、じゃあ、少し味見してみるか、どれどれ」と父が口をあけると、娘は箸で摘んだ豆腐を父の口に入れた。

「うむ。うむ。こ、こ、これはうまい。塩辛いけど、酒の味がしみこんでうて甘い酒味噌みたいだ。これはこのままで食べるよりは、お粥やご飯と一緒に食えば、味が引き立つかも知れんな。それにこれだけでも酒の肴になりそうだ!うまい、うまい!」と父は興奮し始めた。

「でしょう!?これがカビの生えた豆腐よ」

「な、なんだって?これがあのカビの生えた豆腐だって?」

「そうだよ。おまえさん。あの時に塩と酒を入れたので、腐るどころか漬物みたいになったんだよ」

「へえー!そうだったのか!塩と酒を入れてこうなったんだな。よし、ほかの豆腐も同じように工夫すればきっと売れるぞ」

「父さん、元気が出てきたわね」

「そうよ。うちの亭主はこうこなくっちゃあ!」

「なにをいってやがる。はやく、昨日作ってあまった豆腐をこれと同じようにするんだ!さあ、これでやってくぞ!」

こうして親子三人はその日からこの豆腐を作り始め、次の日に小屋においてあった甕の豆腐を売り出した。もちろん、はじめのうちは、みんな怪訝な顔して見ていたが、毒じゃないから味見してみよと言われて味見したところ、本当にうまいので、すぐに売れてしまう。そこでまだあるかと客が聞くので父は、いまはないけど、数ヵ月後には沢山出来るから、是非買いに来てくれと客に言う。こうしてそれから数ヶ月がたったある日。親子三人の店では例の豆腐を多く売り始め、また娘は父と共にこれを町で売ったので、そのおいしさは多くの人が知るようになり、この豆腐の塩酒漬けは評判になった。もちろん、このときから親子三人の暮らしはよくなり、のちにおとなしい若者がこの家に婿入りし、この豆腐作りを継いだとという。

さて、当時、朝廷には陳宏謀という四塘生まれの大官がいた。この陳宏謀、ある年に四塘近くまで宮廷の用事で来たので、ついでに久しぶりにふるさとに帰った。そしてこの横山村の豆腐のことを知り、自ら口にしてそのうまさがわかり、皇帝への土産としてかなり買い込み都に帰った。

で、宮殿に住む皇帝は毎日のいわゆる山の幸と海の幸に飽きていてので、いつも厨房にかわったものを作って出せと命じていた。このことを以前から聞いていた陳宏謀は都に着くと翌日、皇帝の世話をしている宦官に自分は故郷から珍しい食べ物を持ち帰ったので、皇帝がお粥や米のご飯を食べるとき、漬物として出してくれるよう頼んだ。もちろん、金をその宦官に渡すことも忘れない。そして翌日、この宦官は皇帝の朝餉にこの豆腐を出させた。

「うん?これはなんじゃ?これまで見たことがないが?」

横で控えている宦官に皇帝が聞く。

「はい。申し上げます。それは豆腐を塩と酒で漬けたもので、桂林近くがふるさとである陳宏謀どのが、皇帝さまに是非味わってもらおうと故郷から持ってこられたものでござります」

「ほう?あの陳宏謀がな。で、ここまま食べるのか?」

「は、そのままでもよろしいのですが、話ではお粥などを召し上がられるときに漬物とされれば、とてもおいしいということでございます」

「うん。粥などを食べるときの漬物とな。では、試してみるか」と皇帝はお粥を一口食べたあと、豆腐を少し口に入れた。

「うん!うん、うん!これは粥に合うのう。うまい、うまい。」

「それは結構なことでございます。これで陳どのも遠くからそれを持ってきた甲斐があるというもの」

「うん。これがあれば、粥などは普段より多く食べられるわい。そうじゃ。奴はまだ帰京の報告をしておらんな。明日にでも陳宏謀を呼べ」ということになり、翌日、陳宏謀は皇帝に今度の南方での見回りの状況を報告した。それが終わって皇帝はふとあの豆腐のことを思い出した。

「ところで、宏謀よ。そちが持ち帰ったあの豆腐の漬物、粥と一緒に食べた。うまかったぞや」

「はは!これはこれはありがたき幸せ。皇帝さまのお口に合ったようで、何よりでございます」

「で、あれはなんと申すのかな?」

「はい、はい。あれは・・・」と陳宏謀は、四塘にある横山村の豆腐屋が考え出したものだと言おうと思ったが、農村で出来たものとは言えず、これは桂林特産の「豆乳腐」だと答えた。ここでいう「豆乳腐」とは、そうじゃな、いまの言葉で豆腐チーズという意味かな?。

そこで皇帝は桂林から毎年、この「豆乳腐」を都への貢物とするよう命じた。

ところが桂林の人々は、当時の腐敗した朝廷を憎んでいたことから、「乳腐」の「腐」、つまり、腐るという字を乳の前にして「腐乳」とよび、このときから桂林の「豆腐乳」は名物になったわい!

「中国国際放送局」より

中国国際放送局

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