中国の昔話・「太白の居酒屋」

2018-07-21

ある年の初冬は寒さがきつかった。采石磯という磯の岸辺につけた大きな舟に住む李白は、いつも町の居酒屋で酒を飲んで寒さをしのいでいた。もちろん、寒くなくとも酒を飲むのだが、寒いこともあって飲む量が多い。で、この居酒屋は魯というオヤジが開いたものだが、このオヤジ、いつもニコニコしているものの、少しも損はしたくないと考えている。

この日、李白が店に入ってくると、もたれ椅子で休んでいたオヤジがひげをなで、目を細くした。

「この客は李白という都ではかなり知られた詩人だというが何かわけがあり、この遠く離れた采石磯にきやがった。ここでは商いしているわけでもないので、この数年で酒を飲む金もたいてい使い果たしてしまっただろう。おかげで付けが溜まったワイ。ふん!ただ飲みされてたまるか」。

実は数年前、李白がこの采石磯に来たとき、オヤジは李白が上等な酒を注文したので、きっと金があると思い、その後慇懃にもてなしていた。その上、店の若い手代は李白に好意をもち、いつものように酒を多めに出し、おまけに帰りに李白のもって来た徳利に酒を入れて、この分はただで持って帰らせていたのだ。この日も、手代はそうしたので、オヤジはもう我慢できなくなり、手代をにらみ、李白に近づき言った。

「お客さんよ、うちは小さな店でしてね。酒もたいしたものはなく、都で暮らした方の気に入る酒はもうないんですよ」

これに李白、チラッとオヤジを見て懐から銀五両に値する銀錠を出し、オヤジに放り渡した。オヤジはびっくりしてこれを受け取り、急にニコニコ顔になり、「これはこれは、李白さま。失礼いたしました」といい、手代に早くおつりを渡すよう叱りつけた。

「つりは・・・。そうだ、付けを払い、余った分は次に来るときの酒代としろ」と李白がいう。

「へい、李白さま。わかりました。毎度ありがとうございます」とオヤジはこれに答えた。

さて、それからも李白はこの居酒屋に通いつづけ、またも付けが溜まったので、考えたオヤジは手代に酒を水で薄めて出せと命じた。が、手代がいやな顔するので、オヤジは怒って手代をやめさせ、自分で李白に出す酒を水で薄めて待っていた。

と、その日、李白が居酒屋に入ると愛想のよい手代がいない。うん?と首を傾げたが、黙っていつもの席に着いた。すると、オヤジが自ら酒を持ってきて、にやにやしながら「どうぞ」と酒を置き戻っていく。李白はこれにまたも首を傾げたが、それでも黙って杯に酒をついて口に運んだ。

「うん?味がすこしちがうぞ」と思いながらも飲み始めた。何しろ、李白の飲む量が多いので、薄い酒でも酔う。やがで李白はいつものように気持ちよくなり、もって来た徳利に酒を詰めてもらい帰った。こうして数日が過ぎた。が、李白は居酒屋に来ても何も言わずに飲んでいる。そこでこの日、オヤジは徳利になんと水を入れて李白に渡した。このとき、李白は懐から銀二枚を出して、これでこれまでの付けは返したといい、銀をオヤジに渡して店を出た。オヤジは黙ってニヤニヤしていた。

さて、船に帰った李白、帰りみちに吹かれた風に酔いがいくらかさめ、「こりゃあもの足りない、これではよい詩はできん」と徳利を取って杯に酒を注ぎ口に運んだ。

「ペッ!これはなんだ!水ではないか!」と怒った李白、店のオヤジを怒鳴りつけに行こうと思ったが、くだらん者と言い争っても仕方がないとあきらめた。しかし、ここら一帯の居酒屋はあの店だけだから、あの店に行かないということは酒が飲めないということ。酒から離れられない自分が騙されたのに、また、のこのこと店に行くと恥になる。それもそうである。李白は都では皇帝にもおべっかなど使わないのだ。しかし、酒はどうする?李白は考え込んだ。

こうして李白はこの夜は眠れなくなり、起きて詩を書こうとしたが酒がないので頭が思ったとおりに働かない。一斗の酒で詩百首と言われているほどで酒は自分とは切っても切れないもの。強いて言えば酒がなくては生きていけないのだ。

「これではどうにもならん。どうしたらいいものか」

と李白は降り出した雨の船の屋根をうつ音を耳にしながらうなだれた。

次の日、雨がやんだので李白は病み上がりのように岸に上がりふらふら歩き出したところ、前方に茅小屋がみえ、そこから李白が来るのを待っていたかのように一人の白髪頭のじいさんが出てきた。そして李白に笑いかけ、小屋に入るよう勧める。そこで李白がいわれるまま小屋に入ると、じいさんは、地べたに跪き「命の恩人、お待ちしておりましたぞや」という。これに李白がびっくりしてどういうことかと聞く。

「わしは紀というもので、故郷は幽州でござります。あの年は日照りが続く凶作で、腹をすかしたわしと女房は、飢えを凌ぐために息子を連れ、山で木の皮を剥いておりました。そこになんと二匹の虎が出てきて女房が食われたので、私と子供が腰を抜かしておりますと、あなた様が現れ、弓矢で虎を見事に射殺されました。こうしてわしと息子は助かったのでございます」

「おお。そんなことがあったな。いや、私は当たり前のことをやったまでだ」

「そのあと、この恩をお返ししようとわしはあなた様をずっとさがしておりました。都ではわしのようなものはあなた様にお会いできません。のちにあなた様が都を離れ、金陵から廬山、そしてここ采石磯に移ってこられたと聞き、ふるさとでの用をやっと済ましてここに参り、いまは獲った魚や山で刈った芝を売って暮らしております」

「おお。そうであったか。で、息子さんは?」

「はい、ここらで一つしかない居酒屋で手代として働いておりましたが、急にやめさせられました。今は山に芝刈りに行って家にはおりませんが」

「え?というとあの店の・・・・」

李白はかの居酒屋の手代がどうして自分によくしたかがやっとわかった。

「そうであったか。実はあの店のオヤジは・・」と李白がことのいきさつを言い始めるとじいさんは遮るようにいう。

「あのような者を相手にしなさいますな。でないとあなた様の人格が汚れますワイ。ことは息子から聞きました。あのような者はどんなやましいこともするでしょうに」

爺さんはこういうと、隅に置いてあった酒瓶を運んできて、酒をお椀に注いで差し出した。

「恩人さま、今日はたっぷりやって下され」

これに李白は大喜び。さっそくお椀を受け取り酒の香りを嗅ぐ。

これを見たじいさん「これからあなた様の酒はわしが引き受けました」というので、李白はにっこりして酒を飲んだ。

「うん!うまい。はらわたまで沁みこむうまさじゃ」と李白はいう。そしてじいさんがつまみを出すのを待たず、酒に飢えていた李白は、続けざまに五杯も飲んでしまったので酔いがまわり、気持ちよくなったことので急に頭が働き、詩を書きたくなった。そこでじいさん、用意していた墨や筆と紙を出した。こうなると李白の本能発揮というもので、外に出て滔滔を流れる川や遠くの景色をじっと眺め、不意に大きくうなずくと、紙にさらさらと詩を一気に書いた。

「天門中断して 楚江開く  碧水東に流れて 北に至って回る

両岸の青山 相対して出で  孤帆一片 日辺より来る」

この詩は、天の門が山を裂いたかのように、その間から川が流れ出てきた。その碧(あお)い水は東から流れ、北に向かって回っている。両岸には青い山々が相対し、一隻の舟が日が昇るほうから来たという意味だそうな。

じいさんは、詩が書かれた紙を両手で持ち、墨が乾くのをまって小屋の壁に貼った。

実は李白が名の知れた詩人だということはここら一帯の人々が知っていたが、出来たばかりの詩を見たことがなく、それにこの地で書いた詩が貼ってあるというので、詩を見に小屋に来る人がいた。それが伝わり、李白の直筆だいって見に来る人が多くなった。それにじいさんはうまい酒を作り、李白さまはわしの作った酒を飲んでこの詩を書いたというので、ついでに酒を飲む人が増えた。もちろんうまい酒は喜ばれた。そこでじいさんは小さな居酒屋を開き、昼も夜も李白が飲んだ酒を売り出した。また、李白が飲む酒は毎日息子に送らせている。そのうちにじいさんは、この居酒屋を、李白の字である大白の二字をとり、李白の居酒屋という意味の「大白酒家」となずけ、それを大きく書いた看板を掲げた。

さて、かの居酒屋のオヤジだが、じいさんに客を取られ、店が繁盛しなくなったことを大いに憎んだ。そこで何とかしなくてはと一生懸命頭をひねったが、いい考えが浮かばない。こうしてオヤジは金と酒を用意し、面の皮を厚くして李白を訪ねるしかなかった。つまり、自分の店のために詩を書いてくれと李白に頼むのだ。

こうしてその日、オヤジは用意した金を懐に、上等の酒二樽を店のものに担がせ、李白の住む舟にやってきた。

こちら李白、自分を騙したオヤジが訪ねて来たので、その狙いがわかり、オヤジが金と酒を並べても手を振る。

「だめじゃ。あんたの店の酒は薄すぎて飲めたものじゃない」と言い捨て、さっさと舟に乗り船頭を促したので、舟はオヤジを岸辺において行ってしまった。これにオヤジは慌て「李白さま!李白さま!お待ちくださいな!もっと金を出し、酒も増やしますから!」と舟を追うように走り始めたが、すぐ石に躓いたのか、ドテンとぶっ倒れたわい。

こうしてオヤジの店は客が来なくなったのでまもなくつぶれた。もちろん、じいさんの居酒屋「大白酒家」は繁盛するばかり。それに息子ひとりでは人手が足りないので何人かの若者を手代として雇った。こうして店のたくわえも増え、息子も嫁をもらい、店の近所で家を買ってそこで暮らし始めた。

さて、それから数年後、じいさんはこれまでの苦労のせいか、病にかかってこの世を去った。これに李白は大いに嘆き、その日、息子が持ってきた酒を川に筆を滑らすように流してじいさんを偲び、その日から三日三晩泣き続け、じいさんを深くしのぶ詩を書いたわい。

「紀叟黄泉の裏、還た応に老春を醸すべし 屋台に李白無し、酒を沽りて何人にか与えん」

この詩は、紀じいさんはあの世にいってしまい、またも酒を造っているだろう。しかし、そこには李白はおらず、酒を売るにも誰に飲ませるのかな?という意味らしい。

その後、この川の岸には大小多くの居酒屋ができたが、みな「太白酒家」などの看板を出して詩人李白を偲んだという。

「中国国際放送局」より

中国国際放送局

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