恭王府の「錫晉齋」と「 西洋門」の歴史を勉強

2020-04-09

「錫晉齋」は恭王府の西部の四番目の主殿であり、唯一広さが七つの部屋にも及ぶ大きな宮殿になっている。恭親王奕訢の時代に、西晋王朝の文学者陸機が書いた書道作品の「平復帖」という宝物を保存していた。慶王永璘の時代には、この宮殿は「慶宜堂」という名前で呼ばれていた。和珅氏の時代には和珅が住居として使用し、「嘉楽堂」と呼ばれており、また乾隆皇帝が「嘉楽堂」と書いた額が由来でそう名付けられた。嘉慶皇帝が認定した和珅の二十個の罪の中の第十三番目の罪である「ルール違反の楠木製の宮殿」はまさに嘉楽堂を指していた。その金付けの楠木が用いられた室内の装飾は今でも良好な状態で保存されており、国宝とも言える場所である。

西洋門

西洋門は中国で唯一保存されている清時代の洋風漢白玉を用いて作られたアーチ状の門であり、和珅の時代に円明園の西洋ビルに真似て作ったものであるとされている。門に彫られた様々な模様の工芸は非常に精巧で、レンガに彫られた花模様はルネッサンス後期のフランスの庭園スタイルの代表的なもので何よりも美しい。中国と西洋が融合したような建物の様式で、横木の南面には「静含太古」、北面には「秀挹恒春」という文字が書かれており、庭園は末永く宇宙みたいに静かで、春みたいに秀逸で美しいという意味が文字には含まれている。西洋門は恭王府の「三絶一宝」の二番目の絶である。

住所:北京市西城区柳荫街甲14号

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