后圆恩寺胡同7号是一座坐北朝南、中西合璧的建筑。原是清代庆亲王次子载旉(fū)的府邸,建筑为中西合璧式,既有四合院,又有西洋楼房,还有很大的花园。园中有西式拱形圆亭、喷泉,又有来自圆明园的刻石,同样是中西合璧。这所宅子也是几易其主,民国时曾卖给法国人,抗战胜利后,从1945年12月到1949年1月,这里成为蒋介石的行辕,蒋介石来北平即下榻于此。解放后,此处曾先后成为中共中央华北局办公处、南斯拉夫大使馆、中国人民对外友好协会等,现是友好宾馆。
後円恩寺胡同7号は北を背にして南面する中式と西洋式の折衷である建物群です。ここは元々清の慶親王の次男である載旉の邸宅で、中国式の四合院とか、西洋式の二階以上の建物とか、大きな花園もあります。花園の中では西洋式のアーチ帯び丸い亭、噴水が配置され、一方、円明園からの石刻もあり、同じ中外折衷の産物に属します。この邸宅の所有者は何回も変更され、民国時代にフランス人に売られ、抗日戦争勝利後、1945年12月から1949年1月にかけて蒋介石の行轅になり、蒋氏が北平にくるとここで宿泊していました。解放後、ここは前後して中共中央華北局弁公処、ユーゴスラビア大使館、中国人民対外友好協会などに充てられ、現在は友好ホテルになりました。