おすすめの北京定番観光スポット――円明園

2020-05-29

圆明园又称圆明三园,是清代一座大型皇家宫苑,它坐落在北京西北郊,与颐和园毗邻,由圆明园、长春园和万春园组成,所以也叫圆明三园。此外,还有许多小园,分布在东、西、南三面,众星拱月般环绕周围。园林面积350多公顷,建筑面积达20万平方米,一百五十余景,有“万园之园”之称。  清帝每到盛夏就来到这里避暑、听政,处理军政事务,因此也称“夏宫”。

円明園は清時代の大型皇室庭園であり、北京北西の郊外に位置し、頤和園に隣接しています。また円明園、長春園、万春園で構成されているため、円明三園とも呼ばれています。東・西・南の三側には、月を囲む星のように、小さな庭がたくさんあります。庭園は面積350ヘクタール以上、延床面積20万平方メートル、観光スポット150ヶ所で、「万園の園」とも褒めたたえられています。清の皇帝は、毎年、盛夏の候となると、避暑のため、軍事・政治問題の処理場をここに移転していたので、「夏宮」の別称もあります。

是乾隆十六年秋建成的第一座建筑,主体为三层,楼南有一大型海堂式喷水池,设有铜鹅、铜羊和西洋翻尾石鱼组成的喷泉。楼左右两侧,从曲廊伸出八角楼厅,是演奏中西音乐的地方。

これは乾隆16年秋に建てられた最初の建築物であり、主体は三階で構成され、楼の南に銅のガチョウ・羊、西洋ロールテール石魚の組み入れた大型海堂式噴水がありました。楼の左右両側には、中国風と西洋風の音楽を演奏する場所として、八角楼ホールが曲廊から突き出ていました。

海晏堂

是西洋楼最大的宫殿。主建筑正门向西,阶前有大型水池,池左右呈八字形排引有十二 只兽面人身铜像(鼠、牛、虎、兔、龙、蛇、马、羊、猴、鸡、狗、猪,十二个属相),每昼夜依次辍流喷水,各一时辰(2小时),正午时刻,十二生肖一齐喷水,俗称“水力钟”。本来是以欧洲风格的裸体女人像,但乾隆皇帝觉得裸体女人不和中国的风俗就改为十二生肖铜像,用青铜制造。

これは西洋楼最大の宮殿であります。主体建築物の正門から西に向くと、階段の前には大きな池があり、池の左右に動物の顔と人の胴体となる12台の銅像(ネズミ、牛、トラ、ウサギ、龍、ヘビ、馬、羊、サル、鶏、犬 、豚の十二支)が八字形に配列し、毎日2時間ごとに噴水を交替し、正午の12時になると12の銅像が一斉に噴水するので、一般的に「水力鐘」とも呼ばれていました。噴水銅像については、もともとはヨーロッパ風の裸の女でしたが、乾隆皇帝の反発と中国の風俗に鑑み、青銅製の十二支が採用されるようになりました。

圆明园始建于1709年(康熙四十八年),最初是康熙帝给皇四子胤禛的赐园。1722年雍正即位以后,拓展原赐园,并在园南增建了正大光明殿和勤政殿以及内阁、六部、军机处诸多值房,欲以夏季在此“避喧听政”。乾隆帝在位期间除对圆明园进行局部增建、改建之外,还在紧东邻新建了长春园,在东南邻并入了万春园。   圆明三园的格局基本形成。嘉庆朝,主要对绮春园(万春园)进行修缮和拓建,使之成为主要园居场所之一。道光帝时,国事日衰,财力不足,但宁撤万寿、香山、玉泉“三山”的陈设,罢热河避暑与木兰狩猎,仍不放弃圆明三园的改建和装饰。1860年10月6日英法联军洗劫圆明园,抢掠文物,焚烧,同治帝时欲修复,后因财政困难,被迫停止,改建其它建筑。八国联军之后,又遭到匪盗的打击,终变成一片废墟。

円明園は1709年(康熙48年)に建てられたもので、当初は康熙皇帝が4人目の息子である胤禛に授けた庭園でした。雍正皇帝が1722年に即位した後、夏場ではここで「気を休め、まつりごとを執り行おう」として、同庭園を拡張し、また庭園の南側に正大光明殿、勤政殿、および内閣、六部、軍機処などを増設しました。乾隆帝は治世中において、円明園の一部に対する増設と改設に加えて、同庭園の東側に長春園を、東南側に万春園を新しく建設しました。これで、円明三園が基本的に構図を整えました。嘉慶時代には、綺春園(万春園)に対する修復と増設が続いたことにより、ここは主要庭園の1つになりました。道光時代において、国勢も財力も日増しに衰えていた背景に、万寿、香山、玉泉の「三山」の飾りも撤回し、熱河避暑や木蘭狩りも中止させられましたが、円明三園の改築と装飾は止まることはありませんでした。1860年10月6日、英仏軍は円明園を略奪し、園内の財物を焼却または奪い去りました。その後の同治皇帝は修復を展開しようとしましたが、財政の難行により、工事を中止しほかの建築物を改築することを余儀なくされました。八カ国連合軍略奪の後、ここは再び盗賊に襲われてとうとう廃墟になりました。

圆明园,在清室150余年的创建和经营下,曾以其宏大的地域规模、杰出的营造技艺、精美的建筑景群、丰富的文化收藏和博大精深的民族文化内涵而享誉于世,被誉为“一切造园艺术的典范”,被法国作家维克多雨果称誉为“理想与艺术的典范”。

円明園は150年以上にわたる清朝の建設と運営により、「すべての庭園の作り芸術の模範」と一般的に評価されており、また「理想と芸術の模範」としてフランスの作家であるヴィクトル・ユーゴーからも大賞賛でした。その広大な地域規模や卓越した建設技術、絶妙な建築物風景、豊富な文化的コレクション、広範かつ深い民族文化の内包は世界にも名を馳せました。

圆明园遗址公园位于北京市海淀区中部偏东,西北去西直门二十华里。其东南角为清华大学西门。圆明园遗址公园为著名的爱国主义教育基地。圆明园遗址公园建成于1988年,仅存山形水系、园林格局和建筑基址,假山叠石、雕刻残迹仍然可见。在“西洋楼”旧址建有园史展览馆,供人瞻仰凭吊。

円明園遺跡公園は、北京市海淀区中心部の東側に位置し、その西北端は西直門から20華里です。東南角は清華大学の西門になります。円明園遺跡公園は、愛国主義教育拠点として有名です。この公園は1988年に建てられ、現在は山水の輪郭や庭園の模様、建築物の土台だけが現存して、築山や彫刻の遺跡が残っています。「西洋楼」の旧跡では鑑賞や追憶のための園史展覧館が建設されました。

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大宫门

大宮門

大宫门共5间,南向,门前有大型月台,东、西朝房各5间;房后另有曲尺型拐角朝房各27间;东为宗人府、内阁、礼部、吏部、兵部、都察院、理藩院、翰林院、詹事府、国子监、銮仪卫、东四旗各值房;西为户部、刑部、工部、钦天监、内务府、光禄寺、通政司、大理寺、鸿胪寺、太常寺、太仆寺、御书处、上驷院、武备院、西四旗各值房。

南向きの大宮門はドアが五つ、門の前に大きなプラットフォームがあり、東西に朝房(大型建築物の両側にある建物)がそれぞれ5部屋ありました。両方もその裏側に折角の朝房が27部屋ありました。東側は宗人府、内閣、礼部、吏部、兵部、都察院、理藩院、翰林院、詹事府、国子監、鑾儀衛、東四旗の作業場で、西側は戸部、刑部、工部、欽天監、内務府、光禄寺、通政司、大理寺、鴻臚寺、太常寺、太仆寺、御書処、上駟院、武備院、西四旗の作業場でした。

正大光明殿

正大光明殿是圆明园的正殿,皇帝每年举行生日受贺、新正曲宴亲藩、小宴廷臣、中元筵宴、观庆龙舞、大考翰詹、散馆乡试及复试的地方。殿上悬雍正手书“正大光明”匾额,殿堂7间,前面有宽大的月台,东、西配殿各5间。

正大光明殿は円明園の主要なホールで、皇帝は毎年ここで誕生日お祝い、皇室宴会、大臣宴会、中元のごちそう、竜の舞、翰林院詹士府の大試験、散館の地方試験及び再試験を行いました。宮殿の上に雍正皇帝が自ら書き下ろした「正大光明」の横額がかかっており、殿堂が7部屋、正面に寛大なプラットフォームがあり、東西に附属殿堂がそれぞれ5部屋ありました。

勤政亲贤殿

勤政親賢殿

勤政亲贤殿即养心殿西暖阁前室,位于正大光明殿东面,为盛暑时皇帝办公之处,有殿堂5间。北设宝座,南为窗,东有板墙开门,与养心殿明间相通,为皇帝召见大臣之所。窗外抱厦内围有木屏,与明间相隔,较为隐秘。现为宫廷生活原状陈列。

勤政親賢殿は养心殿西暖閣の前室でもあり、正大光明殿の東面に位置し、殿堂が5部屋ありました。盛夏の候において、皇帝はここで政務を行っていました。北側には宝座、南側には窓、東側には养心殿の中心殿堂に通う門開き板垣という構造になっており、皇帝による大臣召喚の場でもありました。窓外の附属建物は中心殿堂と離れ、木塀に囲まれる閑寂さが感じられそうでした。現在の陳列は宮廷生活のもともとの様子に準じています。

九州清晏

九州清晏位于前湖北岸与正大光明殿隔湖相望,由三进南向大殿组成,第一进为圆明园殿,中间为奉三无私殿,最北为九州清晏殿;中轴东有"天地一家春",为道光出生处;西有“乐安和”,是乾隆的寝宫;再西有清晖阁,北壁悬挂巨幅圆明园全景图,原图现存法国巴黎博物馆;道光十年又在“怡情书史”附近建起“慎德堂”等殿宇,都是皇帝寝宫;道光十六年,圆明园殿、奉三无私殿、九州清晏殿。同时被火焚烧;雍正帝、道光帝都死在九州清晏殿。

九州清晏は前湖の北岸にあり、湖を挟んで正大光明殿を眺めることができました。また、三つの南向き中庭殿堂から構成されて、最初は円明園殿、真ん中は奉三无私殿、北側は九州清晏殿でした。中軸の東側には道光皇帝の生まれた「天地一家春」が、西側には乾隆皇帝の寝室である「楽安和」があります。そのもっと西側には清暉閣で、北壁に円明園の巨大全景図がかかっており、その原図はフランスのパリ博物館に収蔵されています。道光10年には、「怡情書史」の辺りに皇帝の寝室として「慎徳堂」などの殿堂が建設されました。道光16年には、円明園殿、奉三无私殿、九州清晏殿はいずれも火災で焼失し、雍正皇帝も道光皇帝も九州清晏殿でなくなりました。

长春仙馆

長春仙館

长春仙馆,建于乾隆九年,公元一七四四年。长春仙馆位于前湖西面,乾隆即位前曾居于此,有殿门3间,正殿5间。

長春仙館は乾隆9年、つまり西暦1744年に建てられました。長春仙館は前湖西面にあり、乾隆が即位前にここで毎日を送っていました。中には殿門が三つ、正殿が5部屋ありました。

镂月开云

鏤月開雲

镂月开云原称牡丹亭,位于后湖东南角,建筑木料以捕木为主,殿顶覆二色琉璃瓦;乾隆即位后,改称“镂月开云”,乾隆三十一年,又亲题"纪思堂"匾额;院内植各色牡丹数百株。

鏤月開雲は後湖の南東の隅に位置して、建物の木材は捕木が主で、屋根は2色のるり瓦で覆われていました。元々は牡丹館として知られていましたが、乾隆皇帝即位後、ここは「鏤月開雲」に改称し、乾隆31年、皇帝による「紀思堂」横額が掛かるようになりました。庭には何百ものさまざまな色の牡丹が植えられていました。

碧桐书院

碧桐書院

碧桐书院,建于乾隆九年,公元一七四四年。位于后湖东北角,是一座书房。

碧桐書院は乾隆9年である西暦1744年に建てられました。書斎として後湖の北東角に位置しました。

上下天光

上下天光位于后湖西北,为两层楼宇,登楼可尽览湖光水色。

上下天光は後湖の北西部に位置する二階建てのビルであり、登れば湖の風景を満喫することができました。

杏花春馆

杏花春館

杏花春馆位于上下天光西面,馆舍东西两面临湖,西院有杏花村,馆前有菜圃。

杏花春館は上下天光の西側に位置し、同館は東西両方向も湖に臨み、西院に杏花村が、館の前に野菜畑がありました。

坦坦荡荡

坦坦蕩蕩

坦坦荡荡紧靠后湖西岸,是圆明园中专设的养鱼区,四周建置馆舍,中间开凿大水池。

坦坦蕩蕩は円明園の中に特別に構築された養魚場として、後湖の西岸に隣接しており、周辺は館舎に囲まれ、中心には大きな池がありました。

万方安和

万方安和位于杏花春馆西面,建于水上的字形大型殿堂楼宇,有33间。

万方安和は杏花春館の西側に位置して、33部屋をもつ水上卍形大型殿堂ビルでありました。

山高水长楼

山高水長楼

山高水长楼位于坦坦荡荡西面,为一座西向的两层楼房,上下各9间;前环小溪后拥连岗,中间地势平坦,是专门设宴招待外藩之处,也经常举行比武赛箭。

山高水長楼は上下それぞれ9部屋をもつ西向き二階建てとして、坦坦蕩蕩の西方面に位置しました。前は小川に囲まれ、裏は連なる丘に面し、中央は平坦な地勢で、外民族の招待や矢投げ試合の場として利用されていました。

同乐园

同楽園

同乐园位于后湖东北面,是园中最大的戏台,有清音阁3层,宽10丈,下层设演特技的机轴;南有化妆室5间,北有观戏楼5间;乾隆间每年从正月十三起在此举行酬节会,连日宴赏宗室王公及外藩陪臣并赏听戏,每逢皇帝生日,也在此演戏庆祝数日。

同楽園は後湖の北東に位置し、幅10丈の園内最大演戯場として、3階の清音閣があり、下層階ではスタント対応のシャフトがありました。南には5部屋の化粧ルーム、北には5部屋のシアタールーム、キアンロングルームがありました。乾隆皇帝は毎年、正月13日から、貴族や外民族大使の招待として連日で祝宴を開くようになり、皇帝の誕生日も数日間演劇が演じられました。

安佑宫

安佑宮

安佑宫位于圆明园西北隅,建于乾隆七年,完全仿建故宫太庙,殿内曾陈列康熙、雍正、乾隆遗像。

安佑宮は円明園の北西に位置し、乾隆7年に故宮太廟を完全な手本として建てられました。殿堂内に康熙、雍正、乾隆皇帝の遺影が陳列されていました。

水木明瑟

水木明瑟位于后湖以北小园集聚区中央,仿扬州水竹居,内设水力土风扇,是园中最早的观水法。

水木明瑟は後湖の北にある小型庭園集中地の中央に位置し、揚州水竹居を再現するつもりで建設されました。中には園内最初の観水法として水力駆動ファンが設置されていました。

舍卫城

舍衛城

舍卫城位于水木明瑟东面,是园中专门开辟的一座小城镇,仿照古印度桥萨罗国首都的城池布局而建,是供奉各种佛像和收藏佛经的地方。城廓呈长方形,南北长、东西宽,四周筑有城墙,共辟4门。城内街道呈十字形,内建殿宇、房舍共326间,用游廊相连接;还建有数座金碧辉煌的牌楼。城前专门开设一条贯穿南北的买卖街,称苏州街,由宫中太监扮作商人开市叫卖,法国教士王致诚对买卖街有比较详尽的记载。

舍衛城は水木明瑟の東側に位置しており、特別に建設された園内の小町でした。ここは古代インドのコーサラ国の首都を再現するつもりで建てられ、様々の仏像の祭りや仏教経典収蔵の場として利用されていました。この城は長方形で、東西方向より南北のほうが長めで、周辺は城壁に囲まれて、合計4つの門が利用可能でした。城内では、街道が十字形のように設置され、また殿堂や建物は合計326部屋で、渡り廊下により繋がっていました。ほかに、いくつかの華麗で壮大な牌楼(旧時、街の中心や名勝地に建てられた装飾された門)もあったと言われています。城の正面には蘇州街と呼ばれる南北貫通の商店街があり、宮殿の宦官は商人のふりをして商売を展開していました。これについて、フランス人の宣教師である王致誠が詳しく記載したことがあります。

文源阁

文源閣

文源阁位于水木明瑟北面,原称四达亭,乾隆南巡浙江后,仿照宁波的明代藏书楼天一阁改建,专门贮藏《四库全书》。

文源閣は水木明瑟の北面に位置しており、もともとは四達亭と呼ばれていましたが、乾隆皇帝の浙江省視察後、寧波の明時代風藏書楼天一閣を手本として改築され、「四庫全書」の専門貯蔵場となりました。

廓然大公

廓然大公亦称双鹤斋,位于舍卫城东北面,是园中一组较大的建筑,主体建筑北濒大池,园内景色倒映水中犹然两景;另有诗咏堂、菱荷深处等景点。

廓然大公は双鶴斎とも知られ、舍衛城の東北に位置し、園内では比較的に大きな建築物でありました。その主体建築物は北方面にて大きい池に臨むので、園内の風景に水中の倒影、まるで二種の美景のようでした。ほかに、詩咏堂、菱荷深処などの観光スポットも絶対に外せないものです。

西峰秀色

西峰秀色号称园中小庐山,仿照江西庐山改建;后垣的花港观鱼,仿照杭州西湖胜景而建。每年七夕,都在此摆设巧宴盛会。

西峰秀色は江西盧山を真似して改築されたもので、園中小盧山という美称もありました。後垣の花港観魚はまた杭州西湖の風情を再現していました。毎年の七夕節句では、ここで宴会などが開設されました。

四宜书屋

四宜書屋

四宜书屋位于廓然大公东北面,有殿堂5间,正殿称安澜园,为乾隆南巡后,仿照杭州湾畔海宁一陈姓隅园改建。

四宜書屋は廓然大公の北東に位置し、殿堂が5部屋ありました。正殿は安瀾園と呼ばれ、乾隆皇帝の南方視察後、杭州湾付近の海宁にあった陳氏の庭園に倣って改築されました。

北远山村

北遠山村

北远山村位于大北门内偏东,稻田遍布,各房舍名称都与农事有关,呈现浓郁田园景色。

北遠山村は大北門の東側に位置して、村内では稲田が特徴で、各舎屋の名称は農事に関わっており、濃厚な田園風景が表されています。

方壶胜境

方壺勝境

方壶胜境位于福海水面东北隅,为一座巨大的山字形楼宇。

方壺勝境は巨大な山字形建物として、福海水面の北東にあります。

蓬莱瑶台

蓬莱瑶台位于福海中央,共有三个岛,结构和布局根据古代画家李思训的“仙山楼阁”画设计;宫门3间,正殿7间,殿前东列畅襟楼,西列神洲三岛,东偏殿为随安室,西偏殿为日日平安报好音;东南面有一渡桥,可通东岛,岛上建有瀛海仙山小亭;西北面有一曲桥,可通北岛,岛上建殿宇3间。

三つの島で構成される蓬莱瑶台は福海の中央にあり、その構造もレイアウトも古代の李思訓画家の著作である「仙山楼閣」に基づいてデザインされました。宮門が3つ、正殿が7部屋、殿前の東方向には暢襟楼、西方向には神洲三島に面しており、東方向と西方向の脇殿舎(偏殿)はそれぞれ随安室と「日日平安報好音」でありました。東南には瀛海仙山小亭が見られる東島に通じる渡り橋があり、北西には殿舎3部屋もある北島に通じる曲橋がありました。

接秀山房

接秀山房位于福海东南隅,内部装饰全部采用紫檀木漆器,上面都嵌以金银、宝石、象牙等,这些奇珍异宝上都镂刻着山水、楼阁、人物、花木、虫鸟。这种装饰,从设计到刻技都由明末杭州一周姓工匠所创始,故称周制,在我国雕刻史上占有重要地位。

接秀山房は福海の東南端にあり、内部インテリアはカリン製漆器が特徴で、その上に山水、楼閣、人物、花、木、虫、鳥が刻まれた金・銀・宝石・象の牙などが嵌め込まれていました。そのインテリアは、デザインから彫刻まで明時代末期の杭州出身の周氏職人により仕上げられたので、周製とも呼ばれ、中国の彫刻史上では重要な位置を占めています。

平湖秋月

平湖秋月位于福海西北隅,造型上融汇了杭州西湖平湖秋月和双峰插云的精华。

平湖秋月は福海の北西端に位置し、その外観は杭州西湖の平湖秋月と雲に突く双峰両方の見所を再現しました。

曲院风荷

曲院風荷

曲院风荷位于福海西岸同乐园南面,正殿一排5间,仿照杭州西湖曲院改建,跨池还有一座9孔大石桥。

曲院風荷は福海西岸にある同楽園の南に位置して、杭州西湖の曲院に倣って改築されたことがあります。正殿は横配列の5部屋で構成され、池の上に9ホールの大型石橋がありました。

淳化轩

淳化軒

淳化轩位居长春园正中的主体建筑,建成时适逢《重刻淳化阁贴》竣工,遂将刻板嵌于左右廊的廊壁上,轩并由此得名。《重刻淳化阁贴》刻板144块,共10卷,汇集历代名家99人的真迹;刻成后又拓400部,分赐皇室宗亲、大臣以及直隶、山东、浙江各行宫和名胜地。淳化轩因此成为北京地区 著名碑林。

淳化軒は長春園の中央にある主体建築であり、竣工のころは「重刻淳化閣貼」もちょうど完成したので、刻板は左右廊下に嵌められるようになり、この建物も「軒」という字がつくことになりました。「重刻淳化閣貼」刻板が累計10巻、144枚あり、99人の歴代名家の真筆が統一されました。刻み完成後は、また400部の拓本を取り、皇室、大臣、および直隶、山東、浙江の宮殿と名勝地に分配されました。これがゆえに、淳化軒は北京における有名な碑林となりました。

海岳开襟

海岳開襟

海岳开襟建于水池中,台基为圆形,上下两层,汉白玉石凭栏围绕。台上建3层楼宇,下层为海岳开襟,南檐题“青瑶屿”3字;中层为得金阁,题“天心水面”4字;最上层题“乘六龙”3字圆明园;台的四面各设牌楼一座。在圆明园的所有楼阁中,这组建筑最为豪华。

海岳開襟は池に建てられた上下二階の建物で、円形の基壇があり、また漢白玉製の手すりに囲まれていました。基壇の上に三階建てのビルが見られました。下層は海岳開襟で、南の軒先に「青瑶嶼」の3字が、中層は得金閣で、「天心水面」の4字が、最上層に「乘六龍」の3字が刻まれていました。円明園のすべての楼閣の中で、この建物の豪華さは一位に輝きました。

狮子林

獅子林

狮子林位于长春园东北隅,乾隆皇帝游苏州后,仿建苏州狮子林,先建8景,后续8景,共16景,形成一组别致的小园景区。

獅子林は長春園の北東端にあり、乾隆皇帝は蘇州観覧後、蘇州の獅子林に倣って最初の8景にその以降の8景、合計16ヶ所のスポットを作り上げ、趣のある小型庭園を整備しました。

如园

如園

如园位于长春园东南隅,乾隆三十二年南巡至江宁(今南京市)后,仿照明代大将徐达的瞻园建置。

如園は長春園の東南端にあり、乾隆皇帝は乾隆32年に南方視察のため江寧(現在・南京市)に訪れたあと、明時代の大将である徐達の瞻園に倣って北京で如園を建設しました。

谐奇趣

諧奇趣

是乾隆十六年秋建成的第一座建筑,主体为三层,楼南有一大型海堂式喷水池,设有铜鹅、铜羊和西洋翻尾石鱼组成的喷泉。楼左右两侧,从曲廊伸出八角楼厅,是演奏中西音乐的地方。

これは乾隆16年秋に建てられた最初の建築物であり、主体は三階で構成され、楼の南に銅のガチョウ・羊、西洋ロールテール石魚の組み入れた大型海堂式噴水がありました。楼の左右両側には、中国風と西洋風の音楽を演奏する場所として、八角楼ホールが曲廊から突き出ていました。

海晏堂

是西洋楼最大的宫殿。主建筑正门向西,阶前有大型水池,池左右呈八字形排引有十二 只兽面人身铜像(鼠、牛、虎、兔、龙、蛇、马、羊、猴、鸡、狗、猪,十二个属相),每昼夜依次辍流喷水,各一时辰(2小时),正午时刻,十二生肖一齐喷水,俗称“水力钟”。本来是以欧洲风格的裸体女人像,但乾隆皇帝觉得裸体女人不和中国的风俗就改为十二生肖铜像,用青铜制造。

これは西洋楼最大の宮殿であります。主体建築物の正門から西に向くと、階段の前には大きな池があり、池の左右に動物の顔と人の胴体となる12台の銅像(ネズミ、牛、トラ、ウサギ、龍、ヘビ、馬、羊、サル、鶏、犬 、豚の十二支)が八字形に配列し、毎日2時間ごとに噴水を交替し、正午の12時になると12の銅像が一斉に噴水するので、一般的に「水力鐘」とも呼ばれていました。噴水銅像については、もともとはヨーロッパ風の裸の女でしたが、乾隆皇帝の反発と中国の風俗に鑑み、青銅製の十二支が採用されるようになりました。

文・北京旅行網

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