涼しくなって来た今、北京の「八廟」に行ってみよう!

2020-06-25

北京には「九壇八廟」という言い方があります。それは北京城にある九つの壇と八つの廟のことを指します。いずれも明・清の時代、皇帝が祭典を行われていた場所です。真夏も過ぎ、観光に一番いい時期でまずは八廟を周りましょう。

太廟

「太廟(中国語表記:太庙)」は中国古代皇帝の宗廟で、夏王朝では「世室」と呼ばれ、また後に殷・商の時代では「重屋」、周の時代では「明堂」、秦・漢の時代から「太廟」と呼ばれるようになりました。最初、「太廟」は皇帝がご祖先を弔う場所でしたが、後に皇后や有功の臣下も皇帝の許可の元で、太廟の中に祭られるようになりました。

太廟の平面図から見ると長方形の形をしており、南北の長さは475メートルで、東西の幅は294メートルです。三つの大きな塀に囲まれ、前、中、後ろと三つの宮殿から囲まれています。「大殿」は太廟建築群の中心に位置し、総建築面積は2240平方メートルもあります。宮殿に使われる主な梁には沈香木に包まれ、また貴重な「金糸楠木」も多く使用され、中国の伝統建築を代表する建物の一つです。

住所:北京市東城区天安門広場の東側の労動人民文化宮の中(北京市东城区天安门广场东侧劳动人民文化宫中)

奉先殿

紫禁城内廷の左側に位置される奉先殿は、明と清の皇帝がご先祖を弔うため、明朝初に建てられた太廟です。清朝になると、明朝に倣って、順治14年(1657年)にまた再建されて以来、何度も修繕されました。奉先殿は白い須弥座の上に建てられた「工」文字ような建物で、周囲では高い塀に囲まれます。

住所:北京市東城区景山前通り4号故宮博物院の中(北京市东城区景山前街4号故宫博物院内)

伝心殿

「伝心殿(中国語表記:传心殿)」は紫禁城の東南方向での文華殿の東側にあり、長方形の住宅から構成される祭りの建物です。南北の長さは100メートルで、東西の幅は25メートルで、敷地面積は2500平方メートルです。庭の前には門口がなくて、東・西壁の前半部に黄色い瑠璃瓦礫に覆われる瑠璃門が設けられています。東の壁は西の壁よりもっと高くて、西の壁は文華殿と臨んで少し低いです。その故、西側の門の屋根は壁より少し高くて、一体化した瑠璃製屋根です。

住所:北京市東城区景山前通り4号故宮博物院の中(北京市东城区景山前街4号故宫博物院内)

寿皇殿

「寿皇殿」は景山の北側の建物で、正殿、左右山殿、東西の両脇の殿及び神厨、神庫、碑亭井亭などの付属建物からなっています。塀は方形で、南向きです。外には四本の柱と九つの住宅及び三基の木造鳥居が並んで、東側、南側と西側にはすべて瑠璃瓦礫の寄棟造の屋根、幅が16.2メートルで、全部「斗拱(中国特有の建築構造、梁や棟を支える柱の上の弓形の角材)」がついています。ドアの真ん中に鳥居様式のアーチ型の門が三つあって、黄色い瑠璃瓦礫の寄棟造の屋根、瑠璃斗拱です。横向きは20メートルで、縦向きは4.2メートルです。その両側に小さな門一つずつが設けられ、黄色い瑠璃瓦礫の寄棟造の屋根、瑠璃斗拱です。

住所:北京市西城区景山西通り44号(北京市西城区景山西街44号)

壅和宮

「壅和宮(中国語表記:雍和宫)」とはもともと明朝の宦官の部屋で、北京で一番大きいチベット仏教の寺です。清朝の康熙32年(1693年)に、皇帝四番目の息子(胤禛)の邸宅になりました。壅和宮は北京市の東城区の東北隅、すなわち壅和宮大通りの東側にあり、北京で一番大きいチベット仏教の寺でです。

この寺は三つの精巧的な鳥居及び五つの巨大な宮殿からなっています。突き出し甍と斗拱(中国特有の建築構造、梁や棟を支える柱の上の弓形の角材)の付いている東・西の鳥居から古風溢れている東・西の順山楼まで、敷地面積は66,400平方メートルで、宮殿は千個以上もあります。これは清朝の康熙年間に建てられてから、もう300年の歴史を持っています。壅正皇帝がなくなった後、乾隆皇帝より壅和宮をラマ教の寺に改造されました。

住所:北京市東城区壅和宮大通り20号(北京市東城区雍和宫大街20号)

堂子

「堂子」とは清の王朝に皇族が神を祭る場所です。主な建物と言えば、祭神殿、圜殿及び尚神殿が挙げられます。圜殿の前には皇帝が祭りをする時に用いられる座があります。清の王朝に「皇帝が天を祭る」は縁起よい礼儀の一つと思われます。

下記の二つの場合に堂子で祭りは行われます。まず、国にとっての大事なこと、元旦の時天の祭り、出征、凱旋など挙げられます。次には月祭ような一般的な祭りです。元旦と出征の祭りでは、普通は皇帝が立ち会いうが、皇帝の代わりに官吏が立ち会う場合もあります。神殿のなかには釋迦様、観音菩薩、関帝の像が祭られています。

住所:北京市東城区南河沿南口通りの北側(北京市东城区南河沿南口路北)

孔廟

北京の安定門の内には「国子監通り(成賢街ともいう)」があります。槐の並木の並んでいるこの通り東の北側にあります。そこにある「孔廟(中国語表記:孔庙)」は有名な思想家、教育家、世界に広く知られている孔子を弔う廟です。北京孔廟は元の王朝の大徳6年から建て始められ、大徳10年に落成されました。そして、明の王朝の嘉靖9年に、孔子の5世代の先祖を弔うための崇圣祠は建てられました。清の王朝の光绪32年に大成殿に拡大され、今の規模になりました。700年以上の歳月が経って、ここはもう元、明、清の王朝の皇帝が儒学と孔子を尊重するための聖地、功績と名声を求める文化人に憧れられる所になりました。

住所:北京市東城区国子监街13号(北京市东城区国子监街13号)

帝王廟

「帝王廟(中国語表記:帝王庙)」は北京の西城区の阜成門内通りの北側にあります。明の王朝の嘉靖10年から保安寺を基に建てられて、清の王朝の壅正10年に建て直されました。明と清の王朝の皇帝が各王朝を創立した皇帝と功臣を弔う場所です。乾隆皇帝は何度も見直した結果、弔う先祖は188位の数に決めました。また、乾隆皇帝はさらに「中国の歴史は絶対断つべからず」という観点を出しました。ここは数多くの古代建物の中に、圧倒的な存在感を持ち、国内外の華人が炎帝と黄帝を祭る、先賢を称賛する、自国の歴史に誇りを持つ、国民の団結力を強めるための重要な文化的な場所だと思われます。

住所:北京西城区阜成門内通り131号(北京市西城区阜成门内大街131号)

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