昔の北京の温もりを感じることができる胡同

2021-04-22

一つの都市を深く理解するためには、その観光スポットに行くだけではまだまだです。このような高層都市では、都市の文脈である胡同(フートン)がさらに貴重であります。各胡同には独自のユニークな物語も記録されています。

都市の通りや路地に深く入り込み、北京の旧市街に行き、地元の住民たちとグアズを食べながらおしゃべりをしたり、一緒に胡同の物語を尋ねてください。

1. 帽児胡同

帽児胡同は、東側の「南鑼鼓巷」から始まり、西側の地安門外大街まで続いています。その北側は「豆角胡同」と、南側は「東不圧橋胡同」とつながっています。

清朝時代には、帽子を作る工房があったため、「帽児胡同」と呼ばれるようになりました。現存する四合院の中に、「可園」、文煜氏の故居、「婉容」の旧居などが完全な形で保存されたものです。

胡同の一端は、南鑼鼓巷と交差し、その少し先には有名な「菊児胡同」があり、その終わりでは「煙袋胡同」とつながっています。

帽児胡同路北7-15号(奇数号)の中庭は、清朝末期大学士・文煜の住宅と庭園の「可園」です。その面積は4ムーで、それほど大きくはないが、まばらで整った形をしており、清朝末期の北京の個人庭園の中では最も芸術的価値の高いものとされています。

2. 東四胡同

東四三条から八条までのエリアは、北京旧市街の歴史文化街区環境総合改善プロジェクトの一環となっています。この地域の四合院、胡同や街は、元朝時代の通りや路地のパターンに基づいて開発され、明・清時代の北京の重要な伝統的な街となっています。

このエリアは、東西方向に直線的で滑らかであり、南北に路地で結ばれていて、明・清時代の官僚を中心とした大規模な邸宅があります。通りや路地は、大街の幅は24歩で、小街は12歩であるというルールに基づいて厳密に作られています。

このエリアの胡同や四合院が整然としており、典型的な「魚骨式」の道路体系です。

西洋人のマルコ・ポーロは、当時の元都(今の北京)の通りや路地を「周りは美しい道があり、歩行者がここで行き来します。街全体の配列は将棋盤のようで、その美しさは言葉では言い表せないほどであった」と称賛しました。

3. 琉璃厰

琉璃厰は北京市西城区に位置し、天安門広場から1キロ離れています。その西側は西城区の南北柳巷と、東側は東城区の延寿街とつながっています。全長は800メートルです。

ここは遼・金の時代に「海王村」と呼ばれ、元・明の時代に御用の琉璃瓦を製造する官営窯がここに設置されたため、「琉璃厰」と呼ばれるようになりました。清の康熙時期から乾隆時期までの間は骨董品を扱う有名な文化街が徐々に形成し、中国の伝統文化、特に書画芸術を紹介する歴史的・文化的な観光名所となっています。現在でも北京市民の文化交流の場となっており、書画骨董などを購入する最適な場所です。

4. 東棉花胡同

東綿花胡同は、地安門東大通りの北側にあり、東西に延びています。この胡同は東の交道口南大街から始まり、西の「南鑼鼓巷」まで伸びています。その北には「北兵馬司胡同」に通じる支線があります。全長448メートル、幅6メートルのアスファルト舗装の道路です。

胡同に位置する15号はもともと清朝末期の吉林将軍・凤山の邸宅で、中庭のアーチの煉瓦の彫刻は1986年に東城区の文化財保護単位に指定されました。また、北洋軍閥である靳雲鵬はここの39号に住んでいたことがあります。今では、胡同の中に中央戯曲学院などがあり、残りは住宅地になっています。

中を覗くと、おおらかな四合院には大小さまざまな赤レンガのキッチンがいくつかあり、その四方にはそれぞれ家族が住んでいます。その中庭にはぶどう棚があり、紫や赤のぶどうの房が垂れ下がっていて、人々の食欲をそそります。

軒先に埋め込まれた屋台を見上げると、決して広くはない表面に「物語のある絵」のような斑点がある漆塗りが見えます。

5. 史家胡同

史家胡同は北京市東城区の東南に位置しています。その東は朝陽門南小街から始まり、西は東西大街までで、南は東・西羅圏胡同と繋がり、北は内務部街に隣接しています。元・明の時代以来の旧称を残す都内の40以上の胡同の一つです。

整然と建てられている胡同の建築は比較的に良いです。ほとんどが大きな家で、歴史上の有名人や上流階級の貴族が何人もここに住んでいたことがあります。

いつも温かい胡同は長い歴史を背負って現代の人々と出会い、共に未来へと向かっていきます。【劉一都(実習) 訳】

北京旅游网翻译

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