歴史が古い西什庫天主堂

2020-11-25

北京にも数多くの教会がある。東交民巷天主堂などをはじめその多くは西洋列強が清国に対する利権を拡大した清末の時代に建てられたものだが、中でも東堂、西堂、南堂、北堂と呼ばれる教堂は歴史が古く、17世紀または18世紀初頭以来の歴史を有している。

南堂(現在の宣武門天主堂)の歴史は明の万暦29年(1601年)にイタリア人のイエズス会宣教師マッテオ・リッチが宣武門の北側に寓所を設けたことに始まる。1610年に、マッテオ・リッチがこの地に天主堂を建造し、17世紀初頭に北京にはじめてのカトリック教会が出現した。南堂は、清代に引き継がれ、さらに清初の順治、康熙年間にイエズス会の宣教師は東堂、北堂を建造した。さらにイタリア系のラザリストの宣教師が雍正年間に西堂を建造した。東堂は現在の王府井天主堂、北堂は現在の西什庫天主堂、西堂は現在の西直門天主堂につながるものである。もっとも現在の建物は、火災や移転などにより近代に再建されたものである。

北堂の建立は、康熙32年(1963年)に康熙帝が病に侵された際に、在京のフランス系イエズス会士等が康熙帝に治療薬としてキニーネを献上したことに由来している。康熙帝は宣教師等に褒美として蚕池口(現在の中国国家図書館分館の辺り)の土地と天主堂建設のための資金を賜り、康熙42年(1703年)に天主堂が竣工した。教会の祭壇には、康熙帝自筆の「萬有真原」の匾額、対聯が備えられた。これらの匾額や対聯は複製品ではあるが、現在の西什庫天主堂において見ることができる。北堂は、近代になり、フランス系のラザリストに管理されることとなり、その後、光緒年間に現在の西什庫の地に移転した。移転後に落成した荘厳な天主堂は1900年の義和団の乱、文革などによる破壊を乗り越え、修復を繰り返しながら、現在にもその姿を留めている。

これら北京の教会堂は、中国独自のキリスト教の団体により現在も運営されており、週末の早朝にミサを行っている。ミサは時間帯によりラテン語、中国語、英語などで行われており、旅行者も参加、見学することが可能である。

住所:北京市西城区西什庫大街

電話:(010)66175198

北京旅游网翻译

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