清朝の街を模している琉璃廠

2020-11-26

琉璃廠は和平門の南、新華街に位置している。元、明の時代にこの地に瑠璃焼の窯工場があったことから「瑠璃廠」の名が付いたのである。乾隆年間(1736年~1795年)骨董の字画や古書、文房四宝などの集散地となっていた。いつの頃からか、この工場街に文人墨客たちが集まるようになり、約200年前、現在のような文化的な街並みになっていたという。

国内街で有名な栄宝齋や中国書店の小売店も次々に建てられた。現在の瑠璃廠は筆、硯、墨、紙の文房四宝と印章、書画骨董(模造品)などを購入する最適な場所である。瑠璃廠のスタイルが清朝の街を模しているから、とても映画チックな雰囲気もまた魅力のひとつ。当然毎日多くの観光客を集めてにぎわっている。

瑠璃廠文化街は全長800メートルで、遼代のとき、“海王村”と呼ばれた。元朝になると、官窯を開設し、瑠璃瓦を焼いていた。明の時代、内城を建設する際、宮殿を改修するために、官窯を拡張し、瑠璃廠は明代の工部五大廠(崇文門外の神木廠、交民巷の台基廠、左安門内の黒窯廠、朝陽門外の大木廠、和平門外の瑠璃廠)のひとつになり、五色の瑠璃瓦を生産した。明嘉靖32年、外城が建設された後、ここは城区になった。そのため瑠璃廠で瑠璃瓦を焼くことができなくなり、窯工場は今の門頭溝の瑠璃渠村に移転したが、“瑠璃廠”という名前は依然として残され、今なお広く伝わっている。

中華民国の時代になり、北平政府はここを瑠璃廠文化街に改めた。東西に延びる瑠璃廠文化街は、中央を南新華街に貫かれ東側と西側に分かれる。清代の瑠璃廠には新華街はなかったが、替わりに皇城西苑から流れ出る水がこの辺りを流れていた。南新華街と交差する辺りが瑠璃廠文化街の中心地で大型の書店「中国書店」がある。海外の研究者がよく立ち寄る書店で人文科学系の専門書が多く一部古書も扱う。ここから東側は瑠璃廠東街と呼ばれ、延寿街まで続き、書画を商う老舗が並ぶ。西側は瑠璃廠西街で、柳巷まで延び、書店が軒を並べる。「商務印書館」や「中華書局」、「文物出版社」などの「門市部」と呼ばれる直営店もある。書画、骨董については巧妙なレプリカが多いが掘り出し物もある。

住所:北京市西城区和平門外瑠璃廠東西街

アクセス:バス7、14、15、45、66路線に乗って瑠璃廠バス停で下車。バス102、105、603、603支に乗って虎坊橋にて降りて南へ。あるいは、地下鉄2号線の和平門駅から出て南へ行進。

北京旅游网翻译

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