烈士を偲び、愛国精神を発信する場:三一八烈士記念園

2021-04-11

円明園の「九洲清宴」遺跡に位置する「三・一八」烈士公墓は、1926年「三・一八」事件で犠牲になった47名の烈士を偲ぶために、1929年に建てられました。墓碑は南向きです。高さ5メートルの六角形記念碑は広さ60平方メートルの墓地に佇んでいます。記念碑の南側に「三・一八烈士公墓」は篆書で刻まれています。六面体の須弥座は正面を始めに、右から左に『三・一八烈士墓表』と烈士の名前、年齢、出身、所属、職業が記されています。

『三・一八烈士墓表』の全文は以下のものです。中華民国十五年三月、国民軍は都の郊外で戦に専念しました。帝国主義者の大砲と軍艦に、大沽口が撃破されました。北京民衆は八カ国の強制的な通牒に反対し、政府の前に集まり、勢いよく正義を求めました。当時、奸人は国の権力を握り、衛士に発砲させました。死者は四十一人に達し、屍山血河となりました。目に余るほど悲惨なシーンに今でも憤りを覚えます。革命軍が旧政府を滅ぼした後、指示に従い、北平に来て、故人に追悼の意を捧げ、中央から公葬の許可を得ました。名前・出身・職業が明らかになった方は三十九人、身元不明の方は二人いました。重軽傷を負った方は、多すぎて記載されていませんでした。志士の名を知らず、遺憾の極みです。若い男女であれ、労働者であれ、商売人であれ、死を恐れずに、手ぶらでこの反帝国主義デモ運動に身を投じました。三月十八日に発生されたことから、「三一八惨案」と称されました。このことをもって、後世の人々を戒めます。

毎年3月18日に、北京の各大学の学生がここで墓参りをし、烈士を偲び、歴史を胸に刻み、愛国主義教育を受けます。

清の大型皇家庭園である円明園は、円明園、長春園と綺春園(後に万春園と改名)からなり、「円明三園」とも呼ばれています。円明園は1707年(康煕四十六年)に建てられ、3.5平方キロメートルの敷地を占めており、20万平方メートルの建築面積を有しています。百余りの絶景スポットを誇り、「万園の園」と称されています。しかし、1860年10月6日に英仏連合軍の略奪によって焼却されました。その後、窃盗に遭い、大きな打撃を受け、廃墟と化しました。

住所:北京市海淀区清華西路28号円明園遺跡公園の西南角に位置する「九州清晏」風景区【呉歆沁(実習) 訳】

北京旅游网翻译

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