烈士を偲び、愛国精神を発信する場:李大釗烈士陵園

2021-04-11

李大釗(1889年10月29日~1927年4月28日)は河北省楽亭県出身であり、字(あざな)は守常です。1907年に天津北洋法律政治学院に入学し、1913年に卒業し、東京の早稲田大学で政治学を学びました。中国共産主義運動の先駆者、偉大なマルクス主義者、優れたプロレタリア革命家、中国共産党の主要な創設者であります。

李大釗烈士陵園は、中国共産主義運動の先駆者、中国における初期のマルクス主義者、中国共産党の創設者である李大釗を記念して設立されました。北京の西郊にある香山の麓で、万安墓地の中央に位置しています。東に向け、伝統的な建築であり、面積は2,200平方メートルで、1983年10月29日に完成し、公開されました。

陵園の西側にある本堂は、烈士の生涯を展示した陳列室です。ここに入ると、最初に目にするのは、1934年に中国共産党の北方地下組織が烈士を埋葬する際に彫った石板という重要な文化財であります。この石版は、「白色テロ」の時代に烈士の墓の前に立つことができなかったため、棺と一緒に地下に埋められていたが、50年後の1983年に陵園が設立されてからようやく出て、陵園の最も重要な革命文化遺物となりました。この墓碑の両側には、朱徳、陳毅、李先念、林伯渠、何香凝などが烈士を偲んで書いた碑文が掲げられています。

陳列室では、烈士の生涯を250種類以上の写真、文章、物的資料で展示しています。「幼失怙恃,少年立志(幼い頃に両親を亡くし、一念発起した)」「深研政理,探索振興民族之良策(政治を学び、国家を興すための良い戦略を模索した)」「投身五四新文化運動(五四新文化運動に参加した)」「名重当世的学者和青年導師(学者であり、若者の指導者である)」「謳歌俄国十月革命伝播馬克思主義(ロシア十月革命を賛美し、マルクス主義を広めた)」「為創建中国共産党而奮闘(中国共産党の創設を目指して戦った)」「奔走国民革命統一戦線,促進北伐勝利(北伐の勝利を促進するために統一戦線に力を尽くした)」、「領導北方地区的革命闘争(北方での革命を指導した)」、「共産主義英勇献身(共産主義のために勇敢に死ぬ)」、「永遠活在人達心中(永遠に生きる)」に分けて、烈士の38年間の輝かしい戦いを総合的に紹介しています。

李大釗烈士陵園は、愛国教育と革命伝統教育の重要な拠点となっています。烈士彫像の前の小さな広場は、500人以上を収容することができ、共産党員や共産主義青年団のメンバー、中国少年先鋒隊員がさまざまな式典や党・リーグ・チームの活動を行う重要な場所となっています。各界の支持を得て、積極的に各種の宣伝・教育活動を行い、「万安シリーズ」を発行しています。李大釗を宣伝する「李大釗伝」のほか、万安墓地に歴史上の有名人が多く埋葬されていることを利用して、大学生や小中学校の生徒、各界の人々に中華民族の優秀な人材を宣伝するために、「有名な芸術家」や「学術界の大家」などを発行しています。李大釗烈士陵園は、1984年に北京市の文化財保護単位となり、1986年に国務院から国家重点烈士記念物保護単位に認定され、1992年に北京市人民政府から北京市青少年教育基地に定められ、1995年に民政部から愛国教育基地に指定されました。

住所:北京市海淀区香東山万安里1号【韓喬(実習) 訳】

北京旅游网翻译

モデルコース
人気おすすめ