頤和園(いわえん)は、中国北京市海淀区に位置する庭園公園。1998年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、万里の長城や故宮と並び北京を代表する世界遺産となりました。 この名園は清朝第6代皇帝の乾隆帝が、母親の還暦を祝って造営したのです。頤和園のシンボルである仏香閣の北側に、今回ご紹介する蘇州街があります。 頤和園・蘇州街は乾隆帝の時代に後湖の両岸に建てられた商店街で、江南地方にある蘇州の美しい街並みを模した「ミニ蘇州」です。この街並みの長さは300メートルを超え、小さな川の両岸に茶楼、酒屋、両替屋、薬屋、質屋、絹布店、印刷局などの商店が立ち並んでいます。頤和園に訪れる観光者たちは川沿いや小さなボートで買い物に行くことができます。 蘇州街の誕生について 頤和園の造営者でもある乾隆帝は水郷地帯が大好きで、江南地方に6回も行幸しました。初めて蘇州に行幸したとき、その繁華ぶりや美しい街並みに惚れ込んだ乾隆帝が同行する画家に蘇州の街並みの模様を描くと命じました。この模様図に基づき、北京の北西の郊外の皇室庭園で「ミニ蘇州」が誕生しました。 当時、北京には円明園の同楽園商店街、清漪園の後河商店街等の皇室の商店街がいくつかありました。現在、蘇州街は現存する商店街のうちに規模が一番大きなものです。また、蘇州街は乾隆帝が母親の古希を祝って造営したものでもあります。 それから蘇州街がどうなっただろう 蘇州街はもともと「万寿商店街」と呼ばれ、乾隆帝の時代に建設されてから100年近く繁栄していました。咸豊帝10年(1860年)、蘇州街の商店建築はすべて、イギリス軍とフランス軍による火事で焼却されました。 光緒帝12年(1886年)、西太后(慈禧太后)が頤和園を再建するとき、蘇州街を庭園建築に変えることを計画しましたが、それは実行されませんでした。1962年、頤和園は後湖を浚渫する機会を利用して、川の両側の雑草を根絶しました。それによって、商店街の遺跡が世の中を見るようになりました。 蘇州街建築群の特徴は 頤和園の後湖や万寿山の建築群はチベット式の寺院と、江南地方の水郷地帯の街並みを一つのエリアに凝縮し、まさに独特の工夫が凝らされている場所です。青いタイル、灰色のレンガ、白塗りの壁は、江南地方の民家のシンプルさを表しています。蘇州式の街は他の場所も建設されましたが、中国の皇室庭園の中でここは唯一のものです。 現在、再建された商店街では、伝統的でシンプルな酒屋、茶楼、両替屋、質屋、紺屋、書店、菓子屋、グルメ店などの商店が依然として200年前の物語を語っています。