【革命聖地を巡る旅】紅色文化を体験できる博物館を紹介!海淀区篇

2021-06-17

  海淀区の香山革命記念地と中国革命軍事博物館を見学し、歴史の知識を学び、中国共産党人の愛国心と初心を振り返り、革命の歴史を辿りましょう。

香山革命記念館

70年前の3月23日、毛沢東氏は中共中央を率いて西柏坂を去り、北平へ赴きました。今回の目的地は北平の都心から20キロメートル離れた香山でした。1949年3月25日から1949年8月23日まで、毛沢東氏をはじめとする中央指導者はここに住んでいました。わずか5ヶ月でしたが、まさに新中国の成立まであと一歩でした。ここで中国の革命が農村から都市への偉大な転変を遂げ、勝利への栄光に満ちた道路を歩み始めました。それから、香山の名は世に響き渡りました。

2019年9月13日、ふもとにある香山革命記念館と香山公園にある双清別荘、来青軒、思親舎、多雲亭、小白楼、麗瞩楼、鎮芳楼、鎮南房などの革命旧跡が一般開放されるようになりました。それから一週間もしないうちに、12万人以上の人が訪れ、新中国の成立という偉大な歴史を振り返り、中国共産党人の愛国心と初心を蘇らせました。

香山革命記念館は香山公園の外の紅楓路の東側にあります。緑豊かな広場を通り抜けると、静かに佇む薄茶色の建築が目に入ります。南門の外で、聳え立つ28本の縁柱は暖かい日光を浴び、地面に影を落とし、こぼれ落ちた光と影で絵のような景色を作り出しています。見上げると、毛筆で書かれた「香山革命記念館」の木製看板が高く掲げられています。香山記念館の建築面積は17985平方メートルに達しました。新中国風の建築様式により、記念館の厳粛さを醸し出しています。

記念館のデザインは創意工夫に溢れます。28本の縁柱は中国共産党の28年にわたった苦難に満ちた歳月を象徴します。記念館の二階の東側には中国の伝統的な建築構造「四梁八柱」が設けられています。中国共産党中央と各民主党と無党派の有識者が一丸となって中国人民政治協商会議の開催、中央人民政府の創立、新中国の成立に万全を期したという意味が込められます。東門の外の広場にある国旗掲揚ポールはちょうど19.49メートルの高さとなり、中華人民共和国が1949年に成立したことを表しています。

記念館に入ると、高さ8メートルのホールの真ん中には「毛沢東同志が香山に」を題にした彫刻が設置されています。320平方メートルの巨大な油絵をバックにした彫刻の左側は「渡江戦役」のレリーフと隣り合わせ、右側は中国共産党員と20人の民主主義者が国家運営について協議するシーンです。

香山革命記念館には「新中国の礎を築く——中共中央が香山に」をテーマにした展覧会が開催されます。香山での革命の歴史を集中的に展示する重要なスポットとなります。展覧会は歴史の流れに沿って、「上京」、「本番」、「香山での駐在」、「中国解放への導き」、「新中国成立への備え」、「初心を忘れず、使命を銘記し、奮闘邁進する」という五つの部分から構成されます。展示面積は約6000平方メートルで、見学ルートは約900メートルです。800枚以上の画像、地図、図表、また1200点の有形文化財、文献、書類を含む文物、複数の芸術品が展示されています。

展覧ホールに展示された一枚のモノクロ写真の中で、毛主席は椅子に腰を下ろし、新聞を手に持ち、膝の上に手を軽く当てます。彼が手にした新聞には、目立った「南京解放」という四つ文字があります。右欄の記事の見出しは「千里の河川防衛を瞬く間に突破、南京反動政権は滅亡へ」です。この写真はカメラマンの徐肖氷さが香山双清別荘で撮ったものです。写真に出た1949年4月25日の「進歩日報」は今回、ショーウィンドウに展示されます。

2021年5月17日午前、香山革命記念館で「国際博物館の日」イベントが開催されました。その日に、貴重な図書史料は解放軍出版社や北京出版集団から寄贈されました。そのうち、特装版の『毛沢東手跡』は「自作詩詞」、「題詞題字」、「書簡信函」、「文電書稿」、「批注札記」と「古人詩詞」の6つの部分に分かれます。中には異なる時期における毛沢東氏の貴重な筆跡が1400点余り収載されます。これらの筆跡は高い史料的価値があり、ほとんどは書道の至宝だと専門家に評されました。また、中国革命戦争の史詩と称された『星火焼原』の1979年版、2009年版、2019年版も揃いました。本の書名は毛沢東によってしたためられました。朱徳氏、周恩来氏、劉少奇氏、鄧小平氏などの党・国家指導者は序文や詩句を書いたり、自ら原稿を執筆したりしました。これは中国革命の過程を全面的に回顧する初の回顧録シリーズだと言えます。

香山公園の東門から公園に入り、20分ほど歩いたら、香山革命記念地の旧跡という案内板が目の前に現れます。右へ曲がったら、目に入ったのはかつて毛沢東同志のオフィスと住居を兼用した住まいだった双清別荘です。

庭の扉は古めかしくて、横額には「双清別荘」の四文字が楷書で刻まれます。整然と書いたこの字は熊希齢の直筆です。ここはもともと清の皇家園林の香山静宜園松坞雲庄の旧跡でした。庭の中に二つの泉がさらされと流れることを因んで、乾隆帝は泉の傍らにある石崖に「双清」を記したことから、ここは「双清別荘」と名付けられました。1860年や1900年に、英仏連合軍と八カ国連合軍の略奪と焼却によって一時荒れ果てました。1917年に熊希齢は香山の中腹に香山慈幼院を創設し、慈善・教育事業に身を投じ、国家と人民に一生を捧げました。

中に入ると、閑静な庭に木々が生い茂っています。放生池、夢感亭、大石台、古経棟、石屏、遼王墓、蟾蜍峰、双清泉などのユニークな景観はさらに趣きを添えます。とはいえ、この地は山紫水明の風景で有名になるわけではありません。1949年3月25日から1949年8月23日までの181日間に、毛沢東氏はここに住んでいました。中国共産党中央の指揮センターとして、ここは「革命が農村から北京への転変」を目にし、中国の運命を逆転し中国の未来を決定づけるための歴史を書き上げました。

毛沢東氏はここに5ヶ月しか住んでいませんでしたが、ここで彼は国家と人民のことを心に刻み、国家運営を果敢として行い、作戦計画を策定し、社会各方面の勢力を結集し、統一戦線を形成し、新中国の成立を実現するよう取り組みました。ここで、毛沢東氏は今よく知られる『七律・人民解放軍占領南京』をしたためました。

「鍾山風雨起蒼黄,百萬雄師過大江。虎踞龍盤今勝昔,天翻地覆慨而慷。宜將剩勇追窮寇,不可沽名學覇王。天若有情天亦老,人間正道是滄桑。(鍾山の風雨 蒼黄として起こり、百萬雄師、大江を過る。虎踞り龍盤れるも 今は昔に勝り、天翻へし地覆へして 慨して慷。宜しく剩れる勇をもって 窮れる寇を追ふべく、名を沽らんとて 覇王に学ぶ可からず。天若もし情有らば 天も亦老い、人間の正道は 是れ滄桑。)」

毛沢東がかつて国家事務に励んだ生活を送っていた双清別荘は南向きの一戸建て住宅です。別荘の中央にある会議室の壁には今でも解放戦争期間の軍事戦略が記された「中国人民解放軍戦略情勢図」が掛けられています。東側は事務室です。大きなデスクには旧式の電話や文房具などが置いてあります。事務室の奥に小さなダイニングルームがあり、食卓には毛沢東氏の大好物である紅焼肉、スベリヒユの炒め、ゴーヤの唐辛子炒め、ライスが並べられています。西側の寝室には大きなすのこベッドが部屋全体の大半を占めました。ベッドのそばに立つハンガーには継ぎの当たった中山服とズボンが掛けられています。

双清別荘の東側の平屋にウィリス・ジープがあります。1949年3月25日、毛沢東氏はジープに乗り、西苑空港で人民解放軍を視察しました。ここにあるジープは、毛沢東氏が当時乗った同型車です。随時待機し突撃できるよう、ジープのフロントが門に向かうようにします。双清別荘の東側の平屋はかつて中国共産党中央弁公庁の警護所の警備員が勤務・居住していたところでした。

双清別荘から右折し、上り坂を歩いたら、すぐ来青軒に着きます。階段を上り、アーチ形の門をくぐり、広々とした庭に足を踏み入れます。ここは朱徳氏、劉少奇氏、周恩来氏、任弼時氏のオフィスと住居を兼用した住まいでした。来青軒には、朱徳氏、劉少奇氏、周恩来氏、任弼時氏が昔使っていた家具の模造品が置いてあります。ここで、陳毅氏が朱徳氏に贈った金属製の机と椅子、朱徳氏が使った硯、周恩来氏が使った本棚、旧式ラジオ、任弼氏がソ連で買ったカメラなどが見られます。

1949年のような昔の姿を最大限に維持・復元するために、細部にまで徹底的にこだわります。注意深い来場者なら、来青軒で朱徳氏、劉少奇氏、周恩来氏、任弼時氏の食卓に並べられた料理に気づくのでしょう。紹介によると、昔のままの様子を蘇らせるために、スタッフは指導者たちの生活に関わる記載や、警備員、医者、料理人などの関係者の回顧録などを隅々まで調べました。例えば、任弼時氏の食卓にはリンゴがあり、任弼時氏への敬意と哀悼の念が込められます。任弼時氏は二回投獄されたことがあるので、健康を害し、高血圧症に悩まされました。史料によると、任弼時氏は香山に住んでいた頃、医師の指示に従い、週に一日のダイエットを行い、リンゴしか食べないことにしたそうです。また、周恩来氏の食卓には大根の水炊きがあります。周恩来氏は浙江省紹興市の出身で、江蘇淮安に生まれ育ったので、あっさりした味を好みました。資料によると、周恩来氏は粗末な食事で質素な暮らしを送り、大根や白菜などありふれた野菜が好きでした。周恩来氏の食卓に大根の水炊きなどあっさり系の料理が並べられることによって、彼の質素な暮らしぶりを見せます。

双清別荘と来青軒の近くには、思親舎、多雲亭、小白楼、麗瞩楼、鎮芳楼、鎮南房などのスポットも一般開放されています。思親舎、多雲亭はかつて中国共産党中央宣伝部のオフィスで、小白楼は中国共産党中央図書館の所在地で、麗瞩楼は香山専用電話局の所在地で、鎮芳楼、鎮南房は中国共産党中央弁公庁の拠点でした。

住所:北京市海淀区香山公園の東南部

中国人民革命軍事博物館

中国初の総合型軍事博物館としての中国人民革命軍事博物館は、1958年10月に着工され、1959年7月に竣工され、1960年8月1日に正式に一般開放されました。中華人民共和国建国十周年(1959年)を記念するために建設された博物館です。軍事博物館の展覧館の建築面積は15.9万平方メートルで、展示面積は約6万平方メートルです。高さ94.7メートルの展覧館は、南北に分けて四階建てという構造です。上には直径6メートルの巨大な中国人民解放軍の軍徽が取り付けられます。全館には43つの展覧ホールがあります。

軍事博物館では、中国共産党がリードした武装闘争の過程と人民軍隊の建設に関する成果を示す文物・実物・文献・資料、及び中華民族の五千年にわたった軍事歴史と世界軍事史を示す文物・実物・文献・資料の収蔵・研究・展示を中心に、党・国家・軍隊の活動をめぐり、重大な出来事をテーマにした記念展が開催されます。

軍事博物館の収蔵する文物は主に中国人民解放軍の軍事史、中国古代・近代の軍事史と世界軍事史を反映するものです。博物館の特色ある文物は武器、軍服、証章、軍事に関連する芸術品などです。現在収蔵する文物は飛行機、大砲、艦船、ミサイル、銃器、弾薬、勲章、印章、貨幣、陶器、器具、服装、旗、文献、メモなどを含んだ延べ18万点で、そのうち一級文物は1793点に上ります。

代表的な文物として、秦の時代の兵馬俑、西漢の時代の鉄铍、漢代の钩镶、隋の時代の銅虎符、人民解放軍初のラジオ受信機、中央革命軍事委員会の印章、周恩来氏の紅星奨章、八路軍軍工部が生産した「八一」式軍用銃、中国侵略日本軍の総司令である岡村寧次が降伏時に差し出した軍刀、人民解放軍初の戦車「功臣号」、北平(今の北京)城門の鍵、黄継光氏の朝鮮金星奨章、U-2航空機などが挙げられます。

基本展示

「中国共産党の指導を受けた革命戦争」展

「中国共産党の指導を受けた革命戦争」展は1921年から1949年まで共産党がリードした新民主主義革命の輝かしい過程と偉大な成果を主に展示します。中国共産党が指導した革命戦争史を主軸とし、人民軍隊の戦史、軍史に重きを置き、軍事の特色を際立たせ、軍隊の戦史と党史と革命史、人民軍隊の建設史と作戦史をしっかりと結び付けます。この展覧会の展示面積は6300平方メートルに上ります。展覧館の二階の東側と西側にそれぞれ3つの展覧ホールが設けられています。6つの展覧ホールでは、1200枚以上の写真や図表、2400点以上の文物、43点の芸術品などが展示されています。

「新中国国防と軍隊建設」展

この展示では主に1949年から2017年までの国防と軍隊建設の輝かしい過程と得られた偉大な成果が展示されます。新中国の国家防衛と軍隊建設の歴史的発展を主軸とし、異なる時期によって設置し、各時期の特徴を重んじ、人民軍隊の建設史、作戦史、改革史に焦点を当てます。

「兵器」展

「兵器」展は3つの展示エリアに分かれ、18500平方メートルの展示面積となります。地下1階の中央ホールに戦車、装甲車、火砲、U-2航空機の残骸、紅旗2号ミサイルなど、1階の中央ホールに飛行機、ミサイル、艦艇など、そして2階の回廊に拳銃、小銃、突撃銃、機関銃、弾薬、刃物などが展示されています。展示される人民軍隊が使用・獲得・開発した武器・装備は2500点以上に上ります。

「中国歴代軍事」展

「中国歴代軍事」展は、展覧館の一階の東側に3つの展覧ホールを占め、3152平方メートルの展示面積となります。470枚余りの写真や図表、1300点余りの文物、60点余りの芸術品などが展示されています。主に先秦から民国まで中華民族の数千年にわたった軍事文明、歴代の戦争、軍隊建設を主軸として、戦争実践、軍事制度、兵器装備、軍事思想などに照準を合わせます。

「軍事科学技術」展

「軍事科学技術」展は地下1階、1階、2階に累計で6つの展覧ホールを設け、7500平方メートルの展示面積に達しました。陸軍重武器装備技術、陸軍軽武器装備技術、海軍武器装備技術、空軍武器装備技術、ミサイル武器装備技術、核兵器・核技術の平和的利用といった展示エリアが設置されています。国防科学技術、各軍隊の軍事技術を紹介することによって、国防教育と軍事科学普及教育が展開されています。

「紅色記憶——館蔵革命軍事芸術作品」展

「紅色記憶——館蔵革命軍事芸術作品」展は展覧館の3階の北側に油絵ホール、彫刻ホール、中国画ホールといった3つの展示ホールを設け、3693平方メートルの展示面積に上ります。軍事博物館が所蔵する革命・軍事をテーマにした芸術作品を中心に、延べ140点の油絵・彫刻・中国画が展示されています。

電話:010—66866244

住所:北京市海淀区復興路9号【呉歆沁 訳】

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