中国で最も地域特色のある剪紙、河北省の蔚県剪紙

2022-03-31

中国河北省・蔚県の剪紙(切り紙)は、中国の国レベルの無形文化遺産であります。河北省蔚県地方の伝統的な切り紙工芸から派生したもので、人々に愛されています。蔚県の切り紙の起源というと、明の時代に遡ることができます。独特なスタイルであるため、国内外で知名度が高いです。

明代の成化年間、切り紙の色彩はまだ単調で、透かし彫りもできなく、イメージがかなり素朴で不器用だったので、人々は窓飾りと呼んでいました。主に靴の柄の刺繍や冠婚葬祭のオブジェ、新年や節句のたびに窓飾りとして使われて喜色を加えるのです。

その時、蔚県の切り紙はまだ「普通」の民間工芸で、独自の特色を形成していませんでした。ある日、切り紙の職人はふと妙案が浮かんでき、「切り紙を年画や影絵のように作れるのではないか」と思いつきました。

切り紙の職人は作れると思いながら、少しずつ改良を加えていき、蔚県初の色とりどりの切り紙が登場しました。当時はまだガラスが発明されておらず、中国北部の窓はほとんど綿紙で遮っていたため、光の透過性が悪く、切り紙を貼ってわずかな光を遮ってしまいました。切り紙職人はその苦労をなめ、敗れれば敗れるほど勇気がわいてき、光の透過性がいい「天皮亮」というものを作り上げました。

「天皮亮」とは、雲母のシートで正方形や丸いブロックにコラージュし、筆で線を引いて色をつけ、辺りに置いて紙を貼りつけて墨を吸います。労働者の最も原始的な知恵のおかげで、蔚県の切り紙を作ってくれたのです。

時の歯車が回り、やがて清朝の咸豊年間を迎えました。木製のパネルで作る新しいタイプの水紋窓飾りが河北省で再び登場しました。人々は、このような窓飾りが「天皮亮」よりも色鮮やかで、切り紙に適していることを発見し、「草窓花」あるいは「草窓空」と呼ぶようになりました。

この切り紙は、昼間に見ると優れているが、夜になると少しも色を出すことができません。切り紙職人は諦めず、影絵を思いつきました。「紙をくぼみに切り込めば、像が自然に現れるのではないか」と、職人たちが考えてやってくれました!

蔚県の切り紙は、清朝の大光年間から光緒年間に生まれたとされています。その時の蔚県の切り紙はまだ「草窓花」の迹を持っており、紙の切り口が今のような細かいものではなく、人物が美しくなく、形も正確ではありません。まるでポケットのようで、「ポケットの芝居」とも呼ばれていました。しかも、花のモチーフも比較的シンプルで、限られた色彩だけで表現されていました。

清朝の光緒・宣統時代に、プロの切り紙職人が登場しました。呂氏と翟氏は、蔚県城内ではよく知られていたのは、蔚県の切り紙があったからです。呂氏一族は戯曲の登場人物を描写することで知られており、現代に保存されている100セットほどの戯曲のうち、最も古いサンプルはすべて呂氏一族の手によるものでした。一方、翟氏は花の描写を得意とし、当時流行していた花の様式を統一しました。

蔚県の切り紙の花、戯曲の人物は、この頃すでに形づくられていました。

清の光緒年間から清末までの30年間、蔚県の切り紙が長い歴史に輝いており、彫刻刀で彫って染める蔚県の切り紙が普遍的に普及するようになりました。呂氏と翟氏の分業は、当時蔚県の切り紙の生産が大規模になったものの、まだ成熟していないことを物語っています。明の時代から切り紙は何度も改良されてきましたが、職人のこだわりと人々の愛情によって、今日まで受け継がれてきたのです。(資料提供/河北伝統文化 訳/陳丹丹)

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