暫定リストに盛り込まれた北京の中軸線の文化遺産:太廟

2022-04-15

今から約600年ほど前に、明の成祖である朱棣は自分が建てた太廟にやってき、一本の木を手ずから植えました。木の年輪は年月とともに形成し、今はすでに600の輪があるかどうかわかりませんが、太廟は六百年を経ても、しっかりと立っています。2008年、北京五輪の開催まであと100日となった4月30日、北京労働人民文化宮太廟で午後7時半から10時半にかけて、カウントダウン祝賀イベントと「第4回オリンピック歌曲選考表彰セレモニー」が行われました。この豪華な古建築も世界に注目されるようになりました。

王室祭祖建築群は古代中国の首都建設において極めて重要な一部であります。元、明、清の三代にわたって、北京は太廟、社稷壇、天壇、地壇、日壇、月壇、先農壇、先蚕壇、孔子廟、歴代帝王廟、堂子などの多くの壇廟からなる壮大で複雑な祭祀建造物の体系を形成しました。

そのうち、天安門広場の東側、紫禁城に向かって左側にある太廟は、数多くの祭祖建築の中で最大規模かつレベルが最も高い建築群で、現在に至るまで590年以上の歴史があります。

背後にある紫禁城は絶え間なく人が行き交い、一年を通しても観光者に最も人気があります。太廟はよく見落とされがちだが、このような場所が明清時代の真の歴史を物語っています。

太廟は明の永楽18年(1420年)に創建され、明・清時代には皇族が祖先を祀った廟でした。天安門広場の西側にある社稷壇と互いに対応し、「右に社稷壇、左に宗廟」という構えを形成し、1988年に国務院から全国重点文化財保護機関として公表されました。

太廟の間取り図から見ると矩形の形をしており、敷地は四方を三重の塀に囲まれています。外囲いはほとんど檜の林に覆われ、二重目の壁の裏側には太廟の主な建造物群があり、最奥の壁は太廟の中核となる建物を取り囲んでいます。

太廟の全体を見通してみると、その配置がきっちりしています。皇城内で紫禁城の外朝三大殿に次ぐ建造物群であり、後三宮より上回る規模があります。建造物群は檜の林に囲まれ、古木が高くて太陽にも遮るようで、皇室の祭祀建築群の中で最も尊い場所として、荘厳で落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

ですが、太廟は祭祀建築群として存在してきたわけではなく、その機能の変遷は歴史の発展と密接な関係があります。

1924年、溥儀が紫禁城を退去することにより、太廟は皇室の祭祀所としての歴史を終えました。1926年には平和公園と改造され、一般ゲストにも開放されるようになりました。太廟は「公共空間化」への歩みが始まりました。1950年4月30日、北京市労働人民文化宮が開館しました。現在、太廟では様々なイベントが開催され、そこに秘められた巨大な文化的価値が再認識されつつあります。

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