特集│北京の胡同をぶらぶらと散策し、歴史文化の趣を味わいましょう

2022-04-28

児化は中国の北方方言の特徴の一つで、北京出身の人々は児化韻(北京方言の特徴)に慣れております。北京の代名詞である胡同も、今なお一部の胡同の名前には児化の特徴が見られます。冬の寒さから解放される春のうち、一緒に北京の胡同を散策し、胡同の文化を味わいましょう。

雨児胡同

雨児胡同は、東西に走っており、東は南鑼鼓巷から始まり、西は東不圧橋胡同に止まり、南は蓑衣胡同に隣接し、北は帽児胡同に寄っています。全長343メートル、幅5メートル。明の時代は雨籠胡同、清の時代に镶黄旗に属して雨児胡同と呼ばれました。中華民国には依然として雨児胡同と呼ばれていたが、その後何度も改称され、1979年に名称が変更前のものに戻りました。雨児胡同は元大都と同時期に建てられ、北京で最も古い街区の一つです。ここは元大都の都心であり、明・清時代に高官や身分の貴い人が集う場所でもありました。

雨児胡同には、優れた人材が集まっていました。最も有名な画家である斉白石は、かつて雨児胡同13号に住んでいました。現在、斉白石旧居記念館となっています。また、中国美術家協会も雨児胡同15号に位置しており、この古い胡同に人文的な雰囲気を醸し出しています。

住所:北京市東城区雨児胡同

鴉児胡同

鴉児胡同は、東西に走り、南東から北西にかけて傾斜しています。東は小石碑胡同から始まり、西は鼓楼西大街まで、全長820メートル。明の時代には日忠坊に属し、広化寺がこの胡同にあるから、「広化寺街」とも呼ばれていました。清の時代になると、正黄旗に属し、胡同が後海の北河沿いにあることから「沿児胡同」と呼ばれ、後に「鴨児胡同」または「鴉児胡同」という語呂合わせで使われていました。

昔、什刹海の周辺には名刹が建ち並んでおり、鴉児胡同31号に位置する広化寺はその中で規模が最も大きく、保存が最もよいお寺です。山門の前には大きな赤い照壁があり、その照壁には青く輝く什刹海を照らし出しています。境内には五つの中庭を囲み、東西に別院があります。

住所:北京市西城区鴉児胡同

帽児胡同

帽児胡同は、南鑼鼓巷の街区に位置します。東は南鑼鼓巷、西は地安門外大街と繋がっており、東西に走っており、全長にして585メートルほどあります。明の時代には梓潼廟文昌宮と呼ばれ、清の時代から帽児胡同と呼ばれてきました。清代の『乾隆京城全図』には、帽児胡同が詳しく描かれています。絵から見ると、帽児胡同は南鑼鼓巷にある16本の胡同の中で最も長い胡同であり、南鑼鼓巷と地安門外大街を直接繋ぐ唯一の胡同でもあることがわかります。

住所:北京市東城区帽児胡同

菊児胡同

菊児胡同は北京市東城区の北西部に位置し、東は交道口南大街から始まり、西は南銅鑼鼓巷に至り、南は後円恩寺胡同に隣接し、北は寿比胡同に繋がっています。菊児胡同は、明の時代に局児胡同、清の乾隆帝の時代になると桔児胡同と呼ばれるようになりました。「桔」という漢字は、二つの発音があります。一つは「潔(ジェ)」、もう一つは「橘(ジュ)」と読みます。「桔」は「橘」の俗字ですから、ここで「橘(ジュ)」と読むはずです。宣統帝の時代になってから、菊児胡同と呼んできました。

清の直隷総督である栄禄大学士は、菊児胡同の3号、5号、7号に住んでいたとされます。3号は祠堂、5号は住宅、7号は花園でした。その後、栄禄が東廠胡同に引越しました。その上、菊児胡同7号はかつてアフガニスタンの大使館であり、41号はもともとお寺だったそうです。

住所:北京市東城区菊児胡同(陳丹丹 訳)

北京旅游网翻译

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