「立夏三朝」は芍薬の時期

2022-05-20

立夏の侯、民間では「穀雨の三日後に牡丹、立夏の三日後に芍薬が咲く」ということわざがあります。芍薬は中国の伝統的な名花であり、中国では3000年以上前から栽培されてき、牡丹と並んで二つの名花と思われています。芍薬は京西の百花山で数千年前から栽培されており、最も有名なのは「豊台の芍薬は天下に甲たり」と言われた豊台芍薬であります。立夏から小満にかけて、芍薬の花が咲き誇り、都で最も美しい初夏の景色となります。北京晩報が報じました。

芍薬は牡丹とよく似ており、色彩豊かではなやかな花を咲かせます。しかし、歴史的な起源をたどると、芍薬は牡丹よりもずっと前から栽培されていました。3000年以上前の夏、商、周の時代から栽培されており、中国最古の花の一つでもあります。

北京は芍薬の原産地の一つでもあり、京西門頭溝の百花山に野生芍薬が植えられています。植物学者によると、百花山の芍薬は千年以上の歴史があり、今も成長しています。

遼代の南京(現在の北京)及び以北の地域では、芍薬が植えられていました。遼の陶磁器を詳しく観察すれば、牡丹花と芍薬花がよく装飾モチーフとして登場し、遼代の民俗文化における芍薬の位置づけが分かってきます。

元代になると、芍薬栽培センターは安徽省亳州市に移りました。清王朝には北部の山東省曹州(現在の山東省荷沢市)に、その後また北京一帯に移転しました。当時、大都市の周辺には芍薬がほぼ栽培されていました。

明と清の時代、都の庭園に芍薬がより広く植えられるようになりました。西郊の海淀には明代の清華園(今の清華園ではない)があり、李園とも呼ばれています。神宗の祖父である李偉が建てたもので、「京師第一名園」と称され、牡丹や芍薬で有名でありました。

明の末期から、天寧寺は次第に都の花見や仏様を拝むなどの良い所になりました。境内にはお花畑が設けられ、芍薬、キンモクセイが植えられていますが、特に芍薬が有名です。「法源寺のライラック、崇効寺の牡丹、極楽寺の海棠、天寧寺の芍薬」という「都の四大花祭り」があります。中でも天寧寺に植えられた芍薬は花が大きく、色も鮮やかで品種も多い。立夏になると、都の文人や雅士がよく見物します。

清の時代には、円明園や頤和園に芍薬がいっぱいあり、王府の花畑にも芍薬が多く植えられていました。牡丹と芍薬は切っても切れない関係にあるため、牡丹を植えたら芍薬も植え、開花期間を長くすることができます。ですから、西郊にある極楽寺の「国花堂」では牡丹が有名だが、芍薬もたくさん植えられています。

清の乾隆帝は芍薬に熱中し、御園に芍薬を広く植えていました。乾隆10年(1745年)、香山の静宜園が建てられた時、百数十本の芍薬をはじめ、さまざまな花木を植え付けました。乾隆33年(1768年)の初夏、御園を訪れた弘暦は、満開の芍薬を見た途端に、即興的に『御製芍薬詩』を賦したことがあります。

また、芍薬の花は花茶や菓子などにも利用できます。清朝の末期、西太后の御膳女官・徳齢の回想によると、西太后は長生きするために、芍薬の花びらと卵、小麦粉を揚げ、パンケーキに作って食べていたそうです。芍薬花餅は西太后の大好物です。具体的な作り方とは、芍薬を洗って千切りにし、小麦粉や卵を混ぜ合わせて揚げ、パンケーキにします。(陳丹丹 訳)

北京旅游网翻译

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