円明園は北京市海淀区の中央より東寄りに位置し、北西の西直門10キロメートル離れたところ位置する。円明園は康熙皇帝によって名づけられた清の有名な庭園である。康熙の御書三字の扁額が、円明園殿の門の上にかかっている。この園名について、雍正帝には「円明」という言葉の意味は「円而入神、君子之時中也;明而普照、達人之叡智也」と解釈し、「円」は個人の人格が円満で人並み以上であることを、「明」は政治的業績が完璧であることを意味する。封建時代の支配階級が明君賢相を標榜した理想的な基準と言える。1860年、英仏連合軍によって主要な建物が焼失し、現在、観光客はただ残骸の中からかつての輝かしい帝国の姿を探し求めているだけだ。円明園は円明園、長春園、綺春園の3つの区域からなっている。円明園円明園の造園は多くの場合、水をテーマにしている。広くて静かな湖もあれば、狭くて急な渓流もある。円明園は主に二つの地域圏からなっている:福海観光地域、後湖観光地区。福海は園内最大の水面で、「東海のように福がある」という意味で、当時、王室御園の水上遊園地だった。海の真ん中に、橋で繋がれた大小さまざまな四角い島が三つある。福海の周囲にはたくさんの小さな水面が回っており、重なり合った石の山、集まった土があちこちに重なり合って、天成のような自然空間を形成している。後湖観光地区は福海の西側にあり、後湖を取り囲む9つの小さな島があり、全国「九州」のシンボルだ。それぞれの島の庭園にはそれぞれ特色があり、また互いに景観となっている。綺春園綺春園は「万春園」とも呼ばれ、竹園、含暉園、西爽村、そして春和苑の北半分からなっており、かつて嘉慶帝の長年の園居の主要な場所の一つであった。道光の後、主に皇太妃たちの庭園として使われた。園内各所に小さなアトラクションが多く、小さなウォーターフロントの大集合だ。現在、綺春園は毎年開かれる円明園のメイン会場となった。園内の水面には大きなハスの花が植えられており、真夏になるとハスの花が咲き乱れ、園内全体がにぎやかになっている。ヨットを漕いで、ハスの葉の間を歩くのもいい体験だ。長春園長春園は大型の水景が主体としている。当時の中核的な建物だった経堂群は、紫禁城の寧寿宮の構造を参考にし、乾隆帝が退位した後もよく住んでいた。団地の北東隅には獅子森があり、蘇州の獅子森を模して造られている。団地の北西部に建てられたヨーロッパ風の庭園建築、通称「西洋館」、誰もが知っている「大水法」がそこにある。