「メーデー」旅行ガイド|北京郊外で山寺を訪ねる

2023-04-26

香山碧雲寺

香山碧雲寺は元至順2年(西暦1331年)に建設し始め、寺院山林全体は建築と互いに引き立てられ、園林は寺院と相互に結合し、美しく雄大で精巧な仕上げが施され、中国寺院園林芸術の傑作とともいえる。

碧雲寺は元代初期建設する時、すでに多くの景観が形成され、僧の続溥はかつて『碧雲十景色』の詩でここの美しい景色をまとめ、すなわち環峰畳翠、曲径通幽、危橋跨澗、楼台潇洒、碧云香靄、池泉印月、洞府蔵春、修竹欺霜、喬松傲雪、奇桧連階である。

その中の危橋跨澗、碧雲香靄と池泉印月の三つの景色は水と関係がある。「碧雲香靄」は碧雲寺の山々に囲まれる景色を描いた。「池泉印月」は香山北麓卓錫泉水系を指し、碧雲寺北側行宮院の一番奥に位置している。碧雲寺門前の石橋の下に深い谷間があり、夏の水量が豊かな時、近づく前にザーザーと水の音が聞こえて、乱流が泉石を洗い流し、水しぶきを上げ、心を躍らせるのが「危橋跨澗」だ。

碧雲寺第六進院は孫中山記念堂であり、ここはもともとは碧雲寺の普明妙覚殿であった。1925年孫中山先生が北京で逝去した後、棺は香山碧雲寺金剛玉座塔内に一時埋葬され、後ではここを孫中山記念堂へ名前を変え、中山さんがおくりかえた帽子や楠木館を金剛玉座塔石券門に封じ込め、「孫中山先生衣冠塚」と刻んだ。

孫中山記念堂の庭園には白皮松、七葉木などの樹木が植えられ、正殿「孫中山記念堂」の六つの文字は孫慶齢が直筆したものだ。

殿内では孫中山先生の漢白玉全身坐像が安置されており、南側のガラスケースには先生の墨書と遺書が陳列されており、北側にはソ連政府が1925年に贈ったガラスで覆われた鋼製の棺が置かれている。

開放時間:08:00—17:00、月曜日は閉館となる

住所:北京市海淀区売買街40号香山公園北門

大覚寺

北京市海淀区の陽台山のふもとにある大覚寺は、遼朝時代に建てられたもので、太陽の東の方角を尊ぶ契丹の習慣を反映して東向きに建てられています。清らかな泉が流れ込んでいることから「清水院」と名付けられました。

金の時代には、金章宗西山八院の一つで、後に霊泉寺とも呼ばれるようになりました。明宣宗が宣徳3年(1428年)に再建し、「大覚寺」の名を与えました。1446年と1478年に再建され、その後、清の康熙帝から乾隆帝にかけて現在の規模に拡大されました。

寺院の建立や刻経の歴史を記録した石碑「陽台山清水院創造蔵経記」や、清朝時代の芸術的傑作である「無量寿仏殿観音壁彫刻」など、多くの貴重な文化財があります。また、清朝時代の勅書や扁額も数多く残されています。

大覚寺は山々に囲まれており、豊かな森林、清らかな泉、美しい景観に恵まれることで金時代には早くも名勝地として知られていました。寺の周囲には、都で有名な樹齢300年のモクレンや樹齢1000年のイチョウなど、古代の檜や青々とした竹が植えられています。

大覚寺は国家重点文物保護単位であり、北京市文物局による改修を経て、北京郊外の有名な観光地となりました。

潭柘寺

「最初に潭柘寺があり、その後に北京城がある」。潭柘寺の歴史は古く、今から1700年以上の歴史がある。寺の境内には、400年以上咲いている「二喬」の木が2本ある。この二本の花は奇抜で艶やかな形をしており、「二喬」と呼ばれ、ハクモクレンの「花魁」だ。ここ数年、寺には新たに数十本の紫、赤い、白いのハクモクレンが加わり、四、五月は香りが立ち、花が咲き誇るのにちょうどいい時期である。ハクモクレン鑑賞のほかにも黄梅、古探春、ライラック、西府牡丹、娑羅花、シャクヤクなど多くの花が寺で順に咲いている。

潭柘寺は西晋の永嘉元年(西暦307年)に建てられ、当初は嘉福寺と呼ばれていた。その後、「岫云寺」という寺の名前は、清の康熙帝がつけたものである。また、寺の後には龍潭があり、山には柘木があるため、人々はこの寺を「潭柘寺」と呼ばれています。1700年近い歴史を持ち、「潭柘が先にあって幽州が後にあり」という言葉もあるほどで、北京が都として繁栄するはるかはるか前からこのお寺はあったのです。

寺院の外には、上下塔院、東西観音洞、安楽延寿殿、龍譚など、多くの星が月を取り巻くように、建物や見所が数多く点在しています。周囲数キロの観光地を形成し、多くの見所と多様な様式を備えています。潭柘寺は人文景観が豊富なだけでなく、自然景観も非常に美しく、春夏秋冬がそれぞれの美しさを持ち、朝昼晩と異なる趣があり、早くも清朝時代に「潭柘十景」が北京で有名になりました。

今、潭柘寺、巍峨たる殿宇、静かな中庭、殿、堂、壇、室はそれぞれ特徴があり、楼、閣、亭、斎の風景は非凡で、古木、花、竹は寺に散在しています。景石が美しい造形をしていて、小さな川が曲がりくねって、殿堂は整然として、壮麗です。

戒台寺

唐の武徳5年(西暦622年)に建立され、1400年の歴史を持つ寺院です。もとは慧聚寺と呼ばれていたが、明の英宗皇帝によって万寿禅寺と名付けられ、中国最大の戒壇があることから、通称戒台寺と呼ばれるようになりました。

樹齢200年を超えるライラックが20本以上あることでよく知られた。これらのライラックは、乾隆帝が初めて戒台寺を訪れた時、古刹に輝きを与えるために、円明園や暢春園から移植されたものだ。このように古いライラックは、故宮の御花園にも二本しかなく、戒台寺のライラックの数は北京でもは珍しく、北京一といわれている。ライラックの花盛りで、樹冠に白、薄紫、紫、紅など、色とりどりの花が、一輪一輪で、とてもかわいいだ。

歴史的には、中国仏教において重要な位置を占め、国内最大の戒壇を持つだけでなく、仏教の最高学問である菩薩戒を教えることができる寺院でした。中国最大の仏教寺院であるだけでなく、中国仏教の最高学府の一つであることから、「天下第一の寺」とも呼ばれています。

戒台寺は、首都から35キロ、門頭区政府から11キロ離れた北京市門頭区の馬鞍山上にある寺院です。西に極楽峰、南に六国嶺、北に石龍山、東に北京市を臨みます。戒台寺は西に位置し、東に面しており、標高は300m以上あります。敷地面積は4.4ヘクタールで、建築面積は8392平方メートルです。

お堂は山の高さを利用して、建築の配置が巧みに配置されて味わいがあります。中国仏教の有名な寺院であるだけでなく、観光名所、国家重点文物保護単位、AAAA級景勝地でもあるのです。

雲居寺

隋王朝末期から唐王朝初期までの間に建てられた雲居寺は長い歴史があり、様々な変遷を経てきました。歴代の修復を経て、雲居寺は最終的に5つの中庭、6つの殿宇を形成しました。この寺は山や水に囲まれ、「中国北部の巨刹」とも呼ばれています。寺院には、唐朝と遼朝の石作りとレンガ作りの塔が10以上もあり、石、紙、木で書かれた経典も数多くあります。特に経典が書かれた14278の石が有名で、中国の国宝として知られています。そのため、ここも北京の敦煌と称されています。

毗盧殿は主殿であり、中には毗盧遮那仏を祭っています。毗盧遮那仏は三身仏の中の法身仏で、「光明遍照」を意味しています。毗盧遮那仏を拝めば、前途が洋々たるものになると言われています。また、殿内には文殊菩薩も祭っています。諸菩薩では、文殊菩薩は最も智慧が富み、大智文殊とも呼ばれるので、智慧を司る仏とされます。文殊菩薩に祈れば、計り知れない知恵が得られると言われます。

釈迦殿は、大雄宝殿とも呼ばれ、中には仏祖の釈迦牟尼を祭っています。「大雄」は釈迦牟尼の威徳を称える言葉です。「釈迦牟尼(シャカムニ)」はシャカ族の聖者を意味しているが、釈迦牟尼は人間で、神様ではありません。紀元前

6世紀頃、カピラ城の王子様である釈迦牟尼は29歳に出家し、35歳に悟りを開き、覚者となり、80歳で没するまでに45年間も説法を行いました。釈迦牟尼に健康や吉祥のことを願えば叶えると思われます。

住所:北京市南西の房山区

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